石鹸工場 発祥の地
せっけんこうじょうはっしょうのち
横浜市営地下鉄 阪東橋駅の南西約700m。中村川の三吉橋の近くに, 中村川に面して「万世子供の遊び場」があり, その入口に南区役所が設置した碑が建っている。
明治初年に横浜の堤磯右衛門が石鹸の製造に成功し, 安価に供給できるようになってから一般庶民が石鹸を使い始めた。
日本に石鹸が伝来したのは 織田信長の時代, キリスト教宣教師が持ってきたと言われる。
写真
碑文
日本最初の
石鹸工場発祥の地―
堤 磯右衛門 石鹸製造所跡 ―堤磯右衛門は, 磯子村の村役人を務める旧家の出身で, 明治初期の横浜の実業家でした。
磯右衛門は, 明治6年(1873)3月, 横浜三吉町4丁目(現・南区万世町2丁目25番地附近)で日本最初の石鹸製造所を創業, 同年7月洗濯石鹸, 翌年には化粧石鹸の製造に成功しました。
明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会で, 磯右衛門の石鹸は花紋賞 を受賞しました。その後, 香港・上海へも輸出され, 明治10年代の前半に石鹸製造事業は最盛期を迎えました。
明治23年(1890)『時事新報』 主催の優良国産石鹸の大衆投票で第一位になりましたが, 全国的な不況のなかで経営規模を縮小せざるをえませんでした。翌年創業者の磯右衛門が死去, その二年後の明治26年(1893) ついに廃業にいたりました。
平成5年12月1日に南区が区制50周年を迎えたことを記念し, この地に日本最初の「石鹸工場発祥の地」の記念銘板を設置します。平成6年3月
南区制50周年記念事業実行委員会
横浜市南区役所