渋沢倉庫 発祥の地
しぶさわそうこはっしょうのち
地下鉄東西線 門前仲町駅から西に400m。永代橋から 木場に通じる“永代通り”に面して 14階建てのオフィスビル「澁澤シティプレイス」が ある。この敷地内に 石柱とプラスチック板の台座に金属プレートを貼りつけた形の スマートな碑がたっている。
渋沢倉庫は 渋沢栄一が起した企業の一つ。明治30年(1897) この地に「澁澤倉庫部」を創業。明治42年(1909)「澁澤倉庫株式会社」となる。平成16年(2004) この地に賃貸用高層オフィスビル(澁澤シティプレイス)を竣工した。
渋沢栄一は, 「日本資本主義の生みの親」とも呼ばれる。幕末期に 一橋慶喜(後の15代将軍)に仕え, 徳川昭武(将軍慶喜の弟)に随行して パリで開かれた万国博に参加し, ヨーロッパ各国を訪問, 産業革命後のヨーロッパ各国の諸制度などを研究した。 この時の見聞が 帰国後に花開いたと言われる。
明治維新後は 大蔵省高官を経験した後 実業界に転じ, 明治6年(1873) 日本最初の銀行(第一国立銀行) を創設し 頭取に就任。その後は 東京ガス・東京海上火災保険・王子製紙・秩父セメント・帝国ホテル・東京証券取引所・ キリンビールなど, 500を超える企業・団体の設立に関わったとされる。
写真
碑文
澁澤倉庫発祥の地
「わが国の商工業を正しく育成するためには, 銀行・運送・ 保険などと共に倉庫業の完全な発達が不可欠だ」
日本資本主義の生みの親である, 渋澤榮一は, 右の信念のもと, 明治三十年三月, 私邸に澁澤倉庫を創業した。
この地は, 澁澤倉庫発祥の地である。
渋澤榮一の生家は, 現在の埼玉県深谷市にあり, 農業・養蚕の 他に藍玉(染料)の製造, 販売も家業としていた。
この藍玉の商いをするときに使用した記章が
⧖(ちぎり・りうご)であった。明治四十二年七月、澁澤倉庫部は、澁澤倉庫株式会社として組織を改めたが、この⧖の記章は、現在も「澁澤倉庫株式会社」の社章として受け継がれている。
澁澤シティプレイス永代建築を記念し本碑を建立する。
平成十六年四月吉日
澁澤倉庫株式会社
実際の「⧖」は、この三角形を重ねた形の頂点が重なる中央に横棒一本が貫いている記号。
→ 澁澤倉庫㈱