猿江 地名 発祥之地

さるえちめいはっしょうのち

地下鉄 半蔵門線・新宿線 住吉駅から南東に300m。小名木川の北側,四ツ目通りの“江東西税務署入口”交差点から西に入ると左(南)側に“猿江神社”がある。この境内 南側参道の左側に「猿江地名発祥之地」と刻まれた平板型の石碑が建っている。

「猿江」は江東区の深川地区にある地名。隅田川と荒川に挟まれた“江東ゼロメートル地帯”にある。
このあたり一帯は 江戸時代に入ってから埋め立てられたところで,それまでは現在の小名木川あたりが海岸線であったという。

この猿江という町名は,康平年間(1060年頃)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の屍がこの地に流れ着き,住民が祠を建てて懇ろに葬ったという伝説に由来する。猿藤太の「猿」と入江の「江」を組みあわせて「猿江」の神社名になり,これが地名になった。

猿江神社の社殿は昭和6年(1931) に建てられたもので,日本最古のコンクリート社殿といわれる。

写真

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碑文

史跡顕彰

猿江地名発祥之地

宮司 神保惠一 謹書

平成十八年十二月吉日 建之

猿江地名発祥之地縁起

源頼朝・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)に於いて、数々の奉勝を立てたたてた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)と云う武将がいた。武勇の士と讃えられる人物であったが、此の地の入江に力尽きてしまった。
これを知った地元の漁師達が、当社の境内に塚を建て手厚く祀ったという。此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の地名になったと伝えられる。以上の縁起を後世に遺すために、茲に顕彰の碑を建立したものである。

平成十八年十二月吉日

宮司 神保惠一

猿江神社由来記

伝承として昔,康平年間(西暦一〇五八年-一〇六五年)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃 この附近の入江に勇々しき戦武者の屍がただより着き,不思議にも,其の頃屍より毎夜光明を発し村人この屍を叮重に葬る。
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり,また懐中より有難き経文一巻がいでたり,よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて,猿江稲荷と尊称し,近郷近在の守護神となし,村落の敬神の地として仰ぎ奉り,豊作祈願,病気平癒,悪病退散,等の,この地の氏神社として祭り,又それより 地名をも猿江村と称えはじめ現在に至れり
正に猿江の地名これより発祥せり
尚,当時,この村落の氏神社である猿江稲荷神社は,古来より「天照大御神」「宇迦之御魂命」とを御祭神としてゐたが武人猿藤太の御霊をも合せ加え,代々お祀り申し上げて参りました
江戸時代は猿江稲荷神社と称し隣接せる,日蓮宗寺院本覚山妙寿寺の住職が代々,守護管理を司とっていたが明治以後,近年になり,神保宮司を祭官として招き,合せて村,町,の発展とともに町内氏子の者達が,神社の護持運営にあたり現在に引き継がれた次㐧であります。

お恵み(ご利益)として,家内安全,病気平癒,商売繁昌
心願成就として霊験あらたかなり,

昭和六十一年丙寅八月吉日

文筆者 堀江候雄

地図

地図

江東区猿江2丁目 付近 [ストリートビュー]