市外電話 創始の地

しがいでんわそうしのち

熱海市役所の北に, レイホーニューフジヤホテルがある。このホテルの敷地内北側の狭いところに 「大湯間歇泉」があり, その 左奥に碑が 建っている。

さらに その左に, 白く塗られた 8角形 六角形の電話ボックスがあり説明が書かれている。この電話ボックスは 背の高い人は 頭がつかえるほど 小型のものだが, 実用の公衆電話として機能しているという。

わが国で初めての温泉療養センター噏滊館きゅうきかんと東京木挽町の東京電信局で、初めての公衆向け市外電話がはじまった。ドイツの気圧吸入器が設置され、当時としては最新式の医療施設とされる。これは, 東京で 電話交換業務が開始される前のことであり, 当時から 政治家や実業家などが いかに大勢 熱海温泉に来ていたかがわかる。

「大湯間歇泉」は, 大昔から この場所に 間欠的に自噴する温泉があり, 世界三大間欠泉と言われていた。およそ 4時間おきに 激しく温泉と蒸気が噴出していて, 徳川家康にも愛されたという。しかし 明治以降 噴出は 徐々に減少し, 関東大震災で 一時的に回復したものの, 昭和の初めには 止まってしまったため, 昭和42年(1967) に人工的に噴出する間欠泉として 整備された。現在は 4分に一度 蒸気と少量のお湯を噴き上げている。


レイホーニューフジヤホテルは、資本関係が代わり、平成30年(2018) 現在は熱海ニューフジヤホテルアネックスとして営業している。

写真

  • 市外電話創始の地 碑文
  • 市外電話創始の地
  • 市外電話創始の地 電話ボックス
  • 市外電話創始の地
  • 電話ボックス 説明
  • 大湯間欠泉

碑文

市外電話創始の地

 明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の 噏滊館と 東京木挽町の東京電信局との間に わが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。
 これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから 13年後のことであります。

昭和37年3月

日本電信電話公社

市外通話発祥の地

 温泉と風光に恵まれ, 冬暖かく, 夏涼しい熱海は明治の頃, 多くの政治家や政府高官が保養や会談のため来遊したので, 東京との連絡が非常に多く, そのため東京~熱海間に電話回線が敷かれ 明治22年1月1日に開通しました。
 東京の電話交換業務が開始されたのが, それから2年後の明治23年12月でした。 それまで熱海側は内務省噏滊館(熱海電信局), 東京側は木挽町にあった東京電信局で 通話料のほか 呼出手数料をとって 公衆電話の取扱いを開始したものです。これわが国最初の市外通話です。
 噏滊館のあったのが, この場所でしたので わが国市外通話発祥の地を記念して「市外電話創始の地」の碑を立てました。
 このボックス公衆電話は, 熱海市がこのように電話に大変ゆかりが深いので 明治100年を記念して わが国最初のボックス公衆電話 (明治33年東京の京橋のたもとに設置され, ボックスの型は六角形で白塗りでした) を模して復元したものを, 今回改装したものです。

このボックス公衆電話は実物ですから,
熱海を訪れた記念通話にご利用下さい。

昭和61年11月19日

熱海市・NTT熱海電報電話局

地図

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熱海市上宿町 付近 [ストリートビュー]