下浦 石工 発祥之地

しもうらいしくはっしょうのち

天草の下島から上島へ瀬戸大橋を渡り, 国道266号線を南東に約3km。旧道との分岐点に大きな自然石で造られた石碑が建っている。

天草には国の重要文化財に指定された祇園橋をはじめ, 古い石の橋がたくさん残っている。これらは天草の石材を使って天草の石工たちが架設した貴重な文化財である。天草の石工は「下浦石工」と呼ばれ, ここ下浦地区で起こり発展した技術である。

碑文にもあるように, 下浦石工は天草島内で石橋を造ったばかりでなく, 長崎の石畳(オランダ坂など)をはじめ九州各地で石造建築物に関わっているといわれる。


本渡ほんど市は、平成18年(2006)に牛深市、有明町、御所浦町、倉岳町、栖本町、新和町、五和町、天草町、河浦町と合併して天草市となった。

写真

  • 下浦石工発祥之地 背面 副碑
  • 下浦石工発祥之地
  • 下浦石工発祥之地 碑文
  • 下浦石工発祥之地
  • 下浦石工発祥之地 側面 副碑
  • 下浦石工発祥之地 背面 副碑

碑文

下浦石工発祥之地

熊本県知事 福島譲二書

下浦石工の由来

 私たちのふるさと本渡市下浦町は, 昔から下浦石と呼ばれる石材の産地で石工が育ち 「石工の里」として石工文化が華開いた。
 下浦に石工が根を下ろしたのは 宝暦10年(1760) 元肥前の国藩士 松室五郎左衛門という浪人が故あって下浦石場に移り住み, 村人に石工技法を伝えたのが始まりだと言われ五郎左衛門翁の墓碑も下浦石場地区に現存している。
 五郎左衛門翁の石工技術は地元石工に受け継がれ, 明治, 大正, 昭和から平成と時代と共に盛んになり, 最盛期は300人の石工を数える程の隆盛を見た。天草, 熊本県内は 勿論, 九州一円の石工の大半は下浦出身で占められている。その代表的な作品が県文化財に指定されている本渡市の祗園橋や 楠浦の眼鏡橋, 更に長崎オランダ坂の石畳を初め, 各地の鳥居, 墓碑など, 日本が誇るすばらしい石の文化遺産がある。
 こうした先人の輝かしい業績を称えると共に, 今後の更なる発展を願って, ここ下浦の要所に「石工発祥之地」の記念碑を建立し, その名を永遠に止める。

平成八年十二月
本渡市下浦石工組合

地図

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本渡市下浦町 付近 [ストリートビュー]