新開氏 発祥の地
しんかいしはっしょうのち
高崎線(上越線)深谷駅から北に6km、東雲寺(深谷市新戒200)境内南側の出入口近くの碑に刻まれている。
渡来人系の豪族 泰 河勝を祖とする新開次郎忠氏の養子となった土肥氏の次男 實重が、当地に館を置き東雲寺を開いた。つまり、新開氏の起こりは現在の伊豆市である土肥方面であり、そこから深谷の地に来たということのようである。
写真
碑文
的龍山東雲禅寺
新開氏発祥の地
當山の開基 新開領主新開荒次郎實重は 相模国土肥郷の土肥次郎實平の次男で 信濃国田口郷の豪族 秦 河勝の後裔新海次郎忠氏の養子となり 当寺の西方に館を築いた 現に荒次郎屋敷の地名がある 源頼朝の挙兵に応じて 石橋山の合戦を初め西海の戦闘にも参加した 子孫のうち 南北朝時代 阿波国に移り牛牧庄を領し 善政を布いて二百余年継承した
廿世禅山識
廿一世禅峰宗雄 代昭和五十九年九月二十三日曾祖父一百年父五十年各正當忌供養のため 下新戎田部井一郎納
熊谷小川石材刻