肢体不自由 教育 発祥の地

したいふじゆうきょういくはっしょうのち

南麻布2丁目, 古川橋-三の橋の通りから 奥に入り込んだところ, 曹渓寺というお寺の前に 「絶江ぜっこう児童公園」という小さな子供の遊び場がある。 この公園の北東隅に 小さな黒い石碑が隠れるように建っている。 1932(昭和7)年 ここ曹渓寺の一角に 「東京市立光明学校」が "小学校に類する各種学校"として開設された。 日本最初の 肢体不自由児を対象とした教育である。

1939(昭和14)年 世田谷区松原に 新校舎落成し、移転。

現在は 「東京都立光明養護学校」として, 世田谷・目黒・渋谷・杉並・中野・港・新宿 の各区から およそ200名の 小・中・高校生が通学している。


平成19年(2007)に、港区によって光明養護学校発祥の地である説明板が追加された。

光明養護学校は、平成29年(2017)に、光明学園と改称した。

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写真

  • 肢体不自由教育発祥の地 絶江児童公園
  • 肢体不自由教育発祥の地
  • 肢体不自由教育発祥の地
  • 肢体不自由教育発祥の地 側面
  • 曹曹渓寺〜絶江児童公園(2018)
  • 肢体不自由教育発祥の地 絶江児童公園(2018)
  • 肢体不自由教育発祥の地(2018)
  • 肢体不自由教育発祥の地 光明養護学校発祥の地(2018)
  • 肢体不自由教育発祥の地 側面(2018)
  • 光明養護学校発祥の地 背面
  • 曹渓寺(2018)
  • 曹渓寺(2018)
  • 曹渓寺(2018)

碑文

肢体不自由教育発祥の地

昭和7年6月19日, 当地に東京市立光明学校という 我が国における最初の肢体不自由教育が発祥した。
東京都立光明養護学校創立50周年記念に当り この碑を建立する。

昭和57年1月30日

東京都立光明養護学校 発祥の地

港区南麻布2丁目9番25号

学制公布後、わが国の児童の就学率は上昇してきましたが、肢体不自由児の教育は取り残されてきました。昭和6年(1931年)東京市教育局は市内15区の学齢児を調査して、1,200名の肢体不自由児の三分の一が未就学児であることを見出しました。そこで、当時就学免除の対象と考えラr手板肢体不自由児のために、小学校に類する各種学校(「小学校令」第17条)として、昭和7年(1932年)6月1日、東京市光明小学校を麻布区本村町203番地に創設しました。光明の名は、東京市長永田秀次郎によって命名され、わが国最初の肢体不自由児学級となりました。

開設当時は、1年から6年まで6学級90名の児童が学び、書く学級で学習指導を行う教員のほかに看護婦が配置され、マッサージなどの治療を行いました。また、普通教科の他に生活科や職業科なども設け、養護と訓練を徹底的に行いました。児童のもつ才能を存分に伸ばす教育は、現在の肢体不自由児養育の基礎となっています。

昭和14年(1939年)9月、世田谷区松原に新校舎が落成移転し、当地には麻布分校が残りましたが、同20年(1945年)戦災により消失しました。その後、東京都立光明養護学校と改称し、小学部、中学部、高等部を世田谷区松原に設置し、現在に至っています。

平成19年3月

港区教育委員会

地図

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