しょうゆ らーめん 発祥の地
しょうゆらーめんはっしょうのち
浅草の雷神風神門から仲見世を浅草寺に向かって北上し、途中、右手に東京スカイツリーが見える横丁を曲がってすぐにあるラーメン店
この看板で「与ろゐ屋が発祥である」と言う人が散見されるが、「浅草が発祥地である」ということであり、与ろゐ屋は比較的新しい店舗である。
与ろゐ屋の創業者 松本光昭は生粋の浅草っ子で、大学卒業後に貿易商社に勤務していたが、ラーメンへの情熱を捨てきれずにラーメンの世界へと飛び込んだ。
昭和60年(1985) に神田でラーメン店を開業し、その後も複数の店を手掛けた。そして平成4年(1992) 生まれ育った浅草の地に与ろゐ屋をオープンした。「与ろゐ屋」という屋号は、父親が経営していた紳士服店「鎧屋(よろいや)」を引き継いだものである。
一方、浅草が醤油ラーメン発祥であることについては、浅草六区で操業した来々軒で大正10年(1921) に提供された「しょうゆ味のラーメン」が、日本で初めての醤油ラーメンとされている。来々軒は、当時の浅草六区にあった中華料理店で、東京ラーメンの源流を築いた存在である。この来々軒の味が、のちに「東京ラーメン」と呼ばれるしょうゆラーメンの原型となったとされる。
また、それまで中華料理店の一部メニューだった「支那そば(現在の醤油ラーメン)」を専門に提供し、手頃な値段と味の良さで庶民の間で大人気となる成功は、店の繁盛に留まらず、日本におけるラーメン文化の基礎を築いた。来々軒が確立した「ラーメン専門店」というビジネスモデルは、日本のラーメン文化を全国に広めるきっかけとなり、大正時代からラーメンは国民的な食べ物へと進化していくこととなる。
与ろゐ屋は「しょうゆラーメン発祥の浅草」という土地の記憶を体現する役割を担っているといえる。
写真
碑文
浅草名代
らーめんしょうゆらーめん
発祥の地 浅草
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