水晶発祥の神社
すいしょうはっしょうのじんじゃ
清流と水晶の秘境を自称する昇仙峡のさらに奥にある
金櫻神社の社有林から産出される水晶は厄除け・金運の信奉対象となり、日本で最初に磨かれた水晶玉が神宝として祀られている。
なお、昭和30年(1955) に13棟が全焼し、現在の社殿はその後に再建されたもの。神宝等はすべて持ち出され、焼失しなかったという。燃えさかる様子は金櫻神社のウェブでも少し見られる。
写真
碑文
水晶発祥の神社(金櫻神社)
医薬禁厭(医者・薬と厄除)の神として二千年の歴史をもつ当神社の水晶守は生涯のお守りとして六百年余りの歴史をもつものである。
日本三御嶽
三大靈場御嶽山金櫻神社由緒
- 御祭神
少彦名命 俗に淡島さま 医薬禁厭 無病息災の神大己貴命 俗に大黒さま 商賣繁昌 福徳円満 縁結びの神須佐之男命 俗に祇園さま 厄除、勇気倍増の神- 相殿
日本武尊命 圣営の神櫛稲田媛命 子育て 婦徳の神(略)
㐧十一代崇神天皇の御代(約二千年前)各地に疫病蔓延し 天皇 深く憂慮され諸国に
神祇 を祀 って悪病退散萬民息災を祈願せしめられる この時、甲斐国では金峰山(北方約三十キロ)山頂に少彦名命を祀られたのが当社の起源である.其の後㐧十二代景行天皇の御代日本武尊命が投獄巡行の際詣でられて、大己貴命と須佐之男命を合祀され後に之を奥宮とし現在の地に里宮として金櫻神社を創建された。更に奈良朝㐧四十二代文武天皇二年(約一千三百年前)大和国金峰山より蔵王権現を勧請し、神佛両道となり別当以下神官、僧侶百余名が常時奉仕し、頗る盛大を極める
以金為神 以桜為霊 ── 金櫻神社々名の起源となる
東国の名社として関東全域を始め越後佐渡、信濃、駿河に迄其の後神徳は及び、各国の領主 武将の崇敬も篤く、寄進された社殿は実に、壮観を極め鎌倉時代の建造物は国の重要文化財に指定され、左甚五郎作の昇り龍、降り龍の彫刻類は稀にみる貴重な文化財であった。
古くから日本水晶発祥の地として火の玉・水の玉のご神宝と金の成る木と言われる神木、鬱金の櫻は生涯守の水晶のお守りと併せ特に有名である日本渓谷美㐧一位の昇仙峡の景観と共に名実共に関東の大社であった境内は千古の老杉 巨木、枝を交え社有林三千町歩、秀峰奇岩屹立し、全山樹木に覆はれて、眞に仙境の感があった。──昭和三十年十二月十八日佛曉突如十三棟に及ぶ社殿灰烬に帰す
ご神体、神宝等は無事であったが昭和三十四年再建されて現代の社殿となる。
神使は白狗と狼 祭神の道案内 交通安全守護
虫切の鈴 日本三土鈴の一つ 水晶守 生涯守として金運と厄除け
日本三御嶽の内、花の御嶽とも云われる山梨県県議会議員当選記念
大田道夫 昭和五十八年四月十日