東京病院 発祥の地
とうきょうびょういんはっしょうのち
NHK放送博物館のある愛宕山と 芝郵便局(日比谷通り)の間に, 東京慈恵会医科大学とその附属病院がある。病院の正面玄関左側に 発祥碑が建つ。
慈恵会医科大学の創立者 高木兼寛は, 明治8年(1875) イギリスに留学して医学を修め, 帰国後 東京海軍病院長になり脚気を絶滅することに取り組み, 後にビタミンが発見される基礎を作った。
明治15年(1882) 貧しい者を病から救うため, 賛同する同志35人と共同で慈善病院「有志共立東京病院」を設立した。その後 米人宣教師リード女史を招聘し東京病院内に看護婦養成所を設立。
明治40年(1907)有栖川宮妃を総裁とする東京慈恵会が設立され, 東京慈恵医院は経済的支援を受けることになる。大正10年(1921)医学専門学校であった慈恵会の教育機関が東京慈恵会医科大学に昇格。 東京病院が大学の附属病院となった。
写真
碑文
東京病院発祥の地
明治24年高木兼寛 東京病院をこの地に開き 大正11年本大学付属病院に移管され昭和37年 慈恵大学病院と改称す
昭和38年10月これを建つ