遠野物語 誕生の場所
とおのものがたりたんじょうのばしょ
地下鉄大江戸線の牛込柳町駅の南東 約500m。大日本印刷(株)と牛込第三中学校の間を東西に走る“銀杏坂通り”に面して 大妻女子大の加賀寮がある。この建物前のフェンスにアルミ製の説明板が掲げられている。
「遠野物語」とは民俗学者・柳田国男が出版した,遠野地方に伝わる民話を記録した書。119の民話が(後に発行された「遠野物語拾遺」には299話が)収録されている。
柳田国男は明治33年(1900) に東京帝国大学を卒業後,農商務省に勤務。明治34年(1901) に柳田家に養子に入り この地牛込区市谷加賀町に住み,昭和2年(1927) に世田谷 成城に転居するまで 27年間この地に居住した。
その加賀町居住の間の明治43年(1910),柳田国男は 遠野出身で小説家でもあり 当時早稲田大学の学生でもあった佐々木喜善を自宅に招き,幼時に祖父から聞かされていた遠野の民話を聞き取り,合計400編を超える民話を『遠野物語』として出版。これは日本民俗学の礎を築いた書とされている。
この説明板は,遠野物語の出版から100周年に当たる 2010年に遠野市が設置したもので,同時に 文京区水道町には「佐々木喜善の旧居跡」の説明板も設置された。
設置してわずか数年で寮が建て替えになったが、解説版は少しずれた敷地隅に再建されている。
写真
碑文
遠野物語 百周年2010
『遠野物語』誕生の場所
柳田國男旧居跡日本民俗学の父・柳田國男(1875~1962)は,現在,大妻女子大学加賀寮となっているこの地にあった旧柳田宅で,小説家・水野
葉舟 の紹介により岩手県遠野市出身の佐々木喜善 (1886~1933)と出会い,佐々木が語った遠野に伝わる不思議な話を百十九話にまとめ,明治四十三年(1910)に『遠野物語』として発表しました。
柳田は,明治八年(1875)兵庫県神崎郡福崎町に松岡家の六男として生まれ,十五歳で上京。青年期から文学に親しみ,田山花袋 ,島崎藤村 ,國木田 独歩 らと交流がありました。東京帝国大学卒業後は農商務省に入り,翌年の明治三十四年(1901)に大審院判事であった柳田直平 の養嗣子 として入籍し,昭和二年(1927)に世田谷区成城に移るまでの二十七年間をこの地で生活しました。
『遠野物語』の話者となった佐々木は,当時早稲田大学在学中で,この旧柳田宅から徒歩で一時間弱の所(現在,凸版印刷株式会社トッパン小石川ビルがある文京区水道一丁目)に下宿しており,毎月のように,柳田の求めに応じ旧柳田宅を訪れ遠野の話をしました。
『遠野物語』は,日本民俗学黎明の書として,また,日本近代文学の名著として,今なお多くの人に読み継がれています。平成二十二年十一月
岩手県遠野市
この解説板は,大妻女子大学のご協力により設置しています。