東洋バルヴ 創業の地
とうようばるぶそうぎょうのち
中央本線の上諏訪駅から 南西に500m。諏訪湖の西岸に面して 諏訪赤十字病院がある。その北側に 元・東洋バルヴ㈱諏訪工場の跡地が 一部の建物を残し 更地になって広がっている。 その西端の 元正門だったと思われる場所に「諏訪ものづくり発祥の里」と 「東洋バルヴ創業の地」という2つの茶色の石碑が並んで建っている。
東洋バルヴは, 1919(大正8)年に この地(当時 上諏訪町)に「北澤製作所」として創業した。 その後 1953(昭和28)年に「東洋バルヴ工業㈱」, 1963(和38)年に「東洋バルヴ㈱」と改称。1997(平成9)年に 長野県 茅野工場が稼動した。2002(平成14)年に 同社の事業再編のため 諏訪工場が閉鎖され, 生産設備は茅野工場に統合された。なお, 東洋バルヴ㈱は 2004(平成16)年に㈱キッツマテリアルにより買収され新社名は 東洋バルヴ㈱となった。なお、買収元の母体北澤製作所は、旧 東洋バルヴの創業者の長男が興した企業だが資本関係の無いまったく別の会社である。
諏訪地方は 明治初期から製糸業が発展したが, 絹の輸出が減少するにつれ 衰退していった。一方 太平洋戦争に入ると 都会での空襲被害を避けるために 疎開してくる企業が増え, 製糸業で培った技術と労働力は 精密工業に吸収されていった。戦後 カメラ・時計などの精密工業の一大拠点となり, プリンター・小型モーターなどに 転換していった。
その中で 東洋バルヴは, 諏訪地方で最初の機械金属工業として, 地域の工業化の先駆けとなった 企業だった。
バルブは英語の綴りでVALVEだが、社名は「バルブ」でも「ヴァルヴ」でもなく「バルヴ」であるところが面白い(笑)が、どういう由来でそうなったかはよくわからない。
写真
碑文
東洋バルヴ
創業の地平成十五年四月吉日
東洋バルヴ株式会社