津軽藩 発祥之地
つがるはんはっしょうのち
五能線 陸奥赤石駅から南へ8km、
津軽藩は、大浦氏5代目である為信が南部氏から独立したことで始まる。その意味においては大浦為信=津軽為信が津軽藩の始祖であることは間違いない。しかし為信はそう考えなかった。
為信は先祖である初代大浦氏である大浦光信=南部光信ことが津軽藩の礎となったとし、その居城であった種里城を発祥の地として保存してきたらしい。
写真
碑文
津軽藩発祥之地
始祖光信公四百五拾年祭記念
義孝書
昭和五十一年十月八日
鰺ヶ沢町長 齋藤禮次郎
建之
光信公と種里城跡
戦国時代の初めにあたる延徳3年(1491)、大浦光信公は南部下久慈(岩手県久慈市)から軍勢を率いて種里に来たとされています。光信公は種里城を拠点に、着々とその勢力を広げました。
大永6年(1526)、光信公は種里城において死去しますが、後に5代目為信公(初代津軽藩主)により津軽統一がなされました。こうして光信公は、後の津軽藩において始祖として敬われ、その居城であった種里城跡は「津軽藩発祥の地」として大切に保存されてきたのです。
種里城跡は、平成14年(2002)、「津軽氏城跡」(種里城跡・堀越城跡・弘前城跡)として国史跡に指定されました。