月の沙漠 発祥地
つきのさばくはっしょうち
大井川河口北側、大井川港の近くにある 吉永第一まちづくりふれあい広場 のすぐ近くに、大きな横長の看板が設置されている。
童謡となって歌い継がれている「月の沙漠」は、加藤まさをが大正12年(1923)少女倶楽部2月号に詩画集として発表したもの。一般的には「砂漠」と表記することが多いが、この歌は「沙漠」という漢字表現となっている。沙=水が少ない、漠=水がない、ということで、沙漠っぽいといえばたしかにそうだ。大正時代だからなのか、ポエトリーとしての漢字表現だったのか、知りたいし、まずは原著を見てみたい。
藤枝市には加藤まさをを記念する碑もあるという。
千葉の御宿の海岸には、記念碑的な駱駝像があれど、「発祥」ということについては触れられていない。
なお、同じ画伯による別の看板もどこかにあるようだが場所は不詳。
童謡『月の沙漠』。この歌の発祥地は千葉県御宿海岸です。しかし焼津の海岸という説もあるのですよ。理由は作詞した加藤まさを氏が今の藤枝の生まれで、その近隣の海岸をモチーフにしたと公言したとかしないとか(仮にそうでも焼津とは限らないけどw)。 pic.twitter.com/ugJqPjbvX0
— 十六夜さくやいづ(半自動) (@saku_yaizu) November 27, 2017
大井川町は、平成20年(2008)に焼津市に編入した。
写真
碑文
童謡 月の沙漠 発祥地
~月の沙漠保存会~
つきのさばくを はるばると たびのらくだが ゆ~きました
大井川町藤守
画・油井文康
童謡「月の沙漠」と吉永の海岸
童謡「月の沙漠」の作詞者加藤まさをの遅々加藤松基地は大井川町の出身である。まさをは幼い時から十三歳頃まで、藤枝市田中の祖父母に育てられた。
まさをは海が好きで祖父に連れられ帰省した父母に伴し、また、友達と誘い合って父の在所に近い吉永の海岸や焼津の海辺で遊んだ。
其の幼い日の思い出を「合歓の揺籠」という童謡画集にして出版したが、二年後の一九二三年「月の沙漠」は作詞され、佐々木すぐるの作曲によって広く唄われるようになった。
その頃の吉永の浜辺は、砂浜が長く広がって遮るものもなく富士の嶺につながって眺められ、砂地の野草は花咲き亀は上陸して産卵した。物資を運ぶ廻船の出入も多く、大量の大羽鰯は海辺に積み上げられて、賑やかなところであった。
まさをは「生まれ故郷の藤枝は海にも近く海岸で泳ぎ遊んだ。その忘れがたい思い出がヒントになった」と「月の沙漠」作詞について親類の人達に話している。元大井川町教育長 大場悦郎 先生ー童謡「月の沙漠」に思うーによる
月の沙漠
加藤まさを
月の沙漠をはるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つならんでゆきました
金の鞍には銀の甕
銀の鞍には銀の甕
二つの甕はそれぞれに
紐で結んでありました
さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上着を着てました
曠い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を
対の駱駝はとぼとぼと
沙丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました「少女倶楽部」大・2・3