夜船閑話 発祥之地

やせんかんなはっしょうのち

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碑文

白幽子巌居之跡

夜船閑話發祥之地

ここは白川の隠士 松風窟白幽子が巌居した跡である。白幽子は名は慈俊、石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山につかえ丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲した。又ここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもある。

「夜船閑話」は、後に臨済宗禅中興の祖と尊崇される白隠禅師(自一六八五年至一七六八年)が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著である。この著書で白幽子の名と内観の秘法とは日本中に広まった。

白隠は二十六才頃打ちつづく寝食を忘れる猛修行で心身の調和が破れ、肺金焦桔の病を患った。今の肺病である。旅で美濃に在った白隠は人口から、京都比叡山麓白川に白幽子と名乗る一仙人があって稀代の医方により肺金を救うと聞き、直ちに白川に来て山中を尋ねこの巌窟に到った。巌窟の奥深く白髪は長く膝に垂れ、軟かい草のしとねに坐る白幽子に相見を許された。一見して白隠の偉相を観た白幽子は初めて白隠に内観気海丹田の法…人身長寿の秘訣を余すことなく伝授した。時に宝永七年(一七一〇年)正月半ばのことである、白隠はこの秘法によって起死回生して明和五年(一七六八年)八十四才まで長生した。

明治の南画家富岡鉄斎百錬居士は夙に禅を学び、白幽白隠両祖対面の霊地保存を発起して、明治三十九年十月自ら建碑して、表に「白幽子巌居之跡」と書し、裏にその事積を記した。そしてこの巌居と白幽子が日常飲んだ清泉の不朽を計った。

今も巌居の前に建つ碑がそれである。残念なことに戦後心無き者がこの碑を傷けた。然し災い転じて福となすことなって、これを機にこの霊跡の保存と顕彰が、京都円町の臨済宗妙心寺派法輪寺の前住職伊山和尚によって進められた。

今の臨済禅の発展は白隠禅師を外して語ることはできない。その白隠禅師蘇生の大恩人が白幽子である。ひしひしとこの霊跡の重みを感じる。

北白川愛郷会

地図

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京都市左京区北白川清沢口 付近