日本 近代 医学 発祥之地

にっぽんきんだいいがくはっしょうのち

阪急京都線 大宮駅から 北西に500m。六角通りに面して 満福寺の西に, 更生保護施設“盟親”がある。 この敷地の外側に「日本近代医学発祥之地」と刻まれた 高さ1.2mぐらいの石碑が建つ。

ここは 江戸時代中期に設置された“六角獄舎”の跡地で, 幕末には 勤皇の志士などの政治犯が多く収容された。明治以降は 京都府の監獄となり 後に山科刑務所に移転した。明治末期になって 甦生保護施設とな現在に至っている。

この地が「近代医学発祥之地」と呼ばれる由縁は, 医学を学んだ 山脇東洋が, この六角牢獄で刑死者の解剖を行い 実地に人体構造を観察したことによる。この時の解剖は, 杉田玄白が 江戸で同様の解剖を行う 17年前のことであった。 この事実を顕彰するために この石碑が建てられた。

写真

  • 日本近代医学発祥之地
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  • 山脇東洋観臓之地
  • 山脇東洋観臓之地 碑文
  • 日本近代医学発祥之地

碑文

日本近代医学発祥之地

山脇東洋顕彰
昭和五十一年三月

日本近代医学のああけぼの
山脇東洋観臓之地
1754 宝暦四年閏二月七日
近代医学のあけぼの 観臓の記念に

一七五四年 宝暦四年閏二月七日に 山脇東洋(名は 尚徳 一七〇五-一七六二)は 所司代の官許をえて この地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった
江戸の杉田玄白らの観臓に先だつこと十七年前であった
この記録は五年後に「蔵志」としてまと められた
これが実証的な科学精神を医学にとり 入れた成果のはじめで 日本の近代医学 がこれからめばえるきっかけとなった 東洋のこの偉業をたたえるとともに 観臓された屈嘉の霊をなぐさめるため ここに碑をたてて記念とする

一九七六年三月七日

日本医師会
日本医史学会
日本解剖学会
京都府医師会

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京都市中京区因幡町 付近 [ストリートビュー]