全国 緑化行事 発祥之地

ぜんこくりょっかぎょうじはっしょうのち

筑波山の山頂から北東に1.8km。筑波山の裏山,非常にアプローチ困難な場所。

北側の旧真壁町側から 筑波高原キャンプ場への曲がりくねった道を上って行くと,右手に「全国緑化行事発祥の地」と書かれた大きな看板に出くわす。この看板の所から椎尾林道が分岐している(林道入口は鎖で車止めされている)。この林道を約800m進むと「全國緑化行事発祥之森記念」碑がある。 更に この碑の所から山を約1km下ると「全国緑化行事発祥之地」碑が建っている。

目標のほとんどない山の中で捜し物をするのは難しい。第1の碑から次の碑までは約1km山を下るが,途中の道はきちんと道が見える所や,棘の様な木が道をふさいでいる所などで,この道でよいのか心配になったころに碑が見えてくる。碑の周辺は杉が植林されており、非常に立派な森になっていた。

昭和初期は世界的な経済恐慌の渦中にあり,農山村の疲弊と劣弱な森林資源,多額の木材輸入といった状況であり,これに対して,植林を推進し,資源を充実することが課題とされた。このため,“大日本山林会”を中心として“愛林日設定委員会”が結成され,愛林思想の普及と植林の推進に向け,全国的な緑化行事を催すことが提唱され,1993(昭和8)年に愛林日が設定された。

愛林日は,毎年4月2日~4日とされ,1934(昭和9)年には 初めての全国的な植樹行事が筑波山麓で行われた。植樹された場所は 筑波山の北西山麓で標高約200m地点。約1.2haの面積に記念植樹が行われた。 農林省の幹部と大日本山林会会長,帝国森林会会長など官民の代表者が数十名参加して行われ,国有林にスギとヒノキが植えられた。

これがわが国における緑化運動のはじまりであったが,その後は戦争の激化により中止され,戦後になって毎年各地で植樹祭が開催されるようになったが,この初回の植樹場所は忘れ去られてしまった。
初回の植樹祭に参加した徳川宗敬氏(東大・農学博士)はこれを憂いて,1984(昭和59)年になって調査を行い,この植林箇所が発見・確認された。このことを記念して1986(昭和61)年になって 御影石による記念碑が建立し4月23日に除幕された。

写真

  • 全國緑化行事発祥之森記念
  • 全国緑化行事発祥之地
  • 全国緑化行事発祥之地 背面 碑文
  • 全国緑化行事発祥之地 案内板

碑文

全國緑化行事
發祥之地

愛林日から全国植樹祭へ

 昭和八年 当時の大日本山林会長和田国次郎氏を中心とする愛林日設定委員会は 愛林思想の普及と植林の推進をはかるために毎年四月二日から四日までの三日間を「愛林日」と定め 国民的運動として全国一斉に愛林行事を催すことを提唱した これには時の農林次官石黒忠篤氏 山林局長村上龍太郎氏も大いに賛同し 昭和九年から農林省の積極的な協力により全国統一的な植樹の日として 全国に呼びかけ実施することになった
 第一回の愛林日には ここ筑波山の鬼ヶ作国有林で中央行事としての記念植樹が官民代表によって行われ 以後 戦争の激化した昭和十九年まで愛林運動は関係者の努力により全国的規模でつづけられた
 戦後の混乱がつづく昭和二十二年には 早くも徳川宗敬氏を会長とする森林愛護連盟が結成され 一時中断していた愛林日行事は再開された 我が国の植樹の日としてつづけられてきた愛林日の思想と行動は その後昭和二十五年から始まった全国植樹祭に引き継がれ 現在では 国民的緑化行事として定着し 発展をつづけながら継続実施されている
  徳川宗敬氏の提唱により ここにこの記念碑を建立する

昭和六十一年

林野庁東京営林局
大日本山林会
国土緑化推進委員会

地図

地図

桜川市真壁町羽鳥 付近