芦別 水稲 発祥の地
すいとうはっしょうのち
根室本線 平岸駅から北西へ2.2km、道道224号沿いにある福住町小公園(芦別市福住町50)に、開拓に関わる内容の石碑が集められている。
1870年代後半から1880年代にかけて(明治10年前後)、北海道の開拓が本格化する中で、芦別地域でも水稲栽培の試みが行われた。特に、明治16年(1883)頃に山形県出身の佐藤傳治郎が現在の芦別市常磐町付近に入植し、水田の開墾と水稲の栽培を始めたことが最初の記録とされている。佐藤は単独でこの地に入り、未開の土地を開墾しながら農耕技術を持ち込み、水稲作を定着させた。
この事績を記念して、芦別市上芦別町に「芦別開拓発祥之地」の石碑が建立されているが、水稲発祥の地としても同地域が位置づけられている。碑文には、佐藤傳治郎が明治26年(1893) 3月にこの地で開拓の鍬を打ち込み、水稲栽培の基礎を築いたことが刻まれている。これにより、芦別地域における農業の発展の端緒が示されている。
写真
碑文
芦別
水稲発祥の地昭和54年9月
題字・碑文
細谷徹之助 書
明治29年 兜谷徳平氏はこの地に初めて水稲を試作し成功した これが芦別における米作の嚆矢で 本市農業発展の基盤となった由緒ある所である
芦別市 芦別市農業協同組合 福住町