芭露 発祥の地
ばろうはっしょうのち
芭露とは、「その口」を表すアイヌ語「パロ (paro)」が由来とみられる。おそれく「○○パロ」だったが聞き取れなかったか書き漏れたかで芭露となったのだろう。
芭露地区では明治28年(1895) に開拓が始まった。その後、バロー原野への入植が進み、明治30年代には開拓地として形成されていった。湧別町の歴史資料によれば、明治33年(1900) に殖民地区画の測設が行われ、翌34年(1901) に貸付が告示され、入植者は増加し、明治35年(1902) には33戸を数えるまでになった。
芭露の開拓を語るうえでは、農業、とりわけ薄荷栽培の発展も重要である。芭露周辺では薄荷の作付けが広がり、やがて「芭露薄荷」として知られる産地を形成した。大正期には薄荷景気によって地域が活況を呈し、農業を基盤として商店や各種の業種も発達した。
写真
碑文
芭露発祥の地
開基八十周年を記念し之を建つ
昭和五十一年十月一日
芭露㐧一部落
芭露㐧二部落
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