日本で初めて、「米国黄色煙草」の 栽培指定地に定められた
べいこくおうしょくはたばこのさいばいしていち
第二神明 大久保I.C. から北西に300mほど、住宅街にある上新地中公園(神戸市西区上新地2丁目5-11)の北東隅に年季の入った石碑が設置されている。
写真
碑文
黄色煙草 記念碑 の由来について岩岡での煙草栽培は、明石藩主・松平直明(1656~1721)の奨励により、江戸時代の前期の元禄年間に始まったと伝えられている。1680年代から、「赤坂葉」という名の葉煙草が盛んに栽培され、以来、岩岡の地は、葉煙草の産地として有名になった。
明治期に入ってからは、欧米文化の流入とともに、外国流の喫煙様式が流行しはじめ、優良品種の黄色煙草が求められるようになった。明治33年、京都の村井兄弟商会から「米国種黄色葉煙草」の種子が寄贈されたことを受け、谷口弥平治氏ら3名によって、日本で最初に岩国の地で植え付けられた。栽培には、多大な経費と労力を要し、谷口氏ただ一人が耕作を継続黄色葉煙草栽培の基礎を築いた。その後、明治35年には、アメリカ人技師の指導を受けるなど、試験と改良に苦心を重ねた末、明治39年、ついに日本で初めて、「米国黄色葉煙草」の栽培指定地に定められた。翌年には、専売局大阪収納所岩岡取扱所が建設され、最盛期を後世に伝えるものとして、大正3年、葉煙草の集積所に、この「黄色煙草記念碑」が建立された。
今日の岩岡の発展の元となった黄色煙草であるが、戦後、新鮮な青果物需要の高まりなど時代の変化により、今日では栽培する農科は皆無となっている。出典:「岩岡のあゆみⅣ」「西区ふるさと自慢百年」