別苅 発祥の地

べつかりはっしょうのち

国道231号オロロンラインから別苅べつかりの漁港に下っていく道すがら、小さな沢を跨ぐ小さな橋(大別苅橋)詰に、棒状の碑が建つ。沢も橋も小さくても「大別苅」なのは、地名から名を取ったと思われる。漁港入口付近には「大別苅」というバス停があり、旧字名と推測される。

「べつかり」という地名は、崖壁の行きどまりという意味のアイヌ語「ペㇱトゥカリ (pes-tukari)」からきている。まさにそのような景色の広がる地域だ。

なお、碑文にある恵比須神社とは、別苅漁港から国道に出て東の方に少し下っていった所にある神社、増毛郡増毛町大字別苅村字萌(北海道神社庁)。

増毛にはこのような棒状の碑を建てた町指定史跡がいくつかあるが、名称一覧があるだけで、場所も謂われもよくわからないものも多い。

写真

  • 別苅発祥の地
  • 別苅発祥の地 碑文
  • 別苅漁港

碑文

別苅発祥の地

宝暦初年村山伝兵衛の増毛場所請負に始り、出張番屋を設けられた所から此処に和人の定住がなされて行った漁場守護として恵比須神社の建立があって定住民が村落を形成していった。

指定年月日 昭和55年……
指定番号 19番
増毛町

「指定年月日」はフレームアウトしてますが、昭和55年7月1日に指定されていることがわかっています。

「指定番号」とは、町指定史跡に登録されているので、その登録番号のこととみられます。

そして、たぶん「増毛町」には「教育委員会」などと続くのでしょう。

地図

地図

増毛町大別苅 付近 [ストリートビュー]