本邦 セメント工業 発祥之地

ほんぽうせめんとこうぎょうはっしょうのち

東京都立清澄庭園の隣に 太平洋セメントの赤いビルがあり, 正門を入って 右手にセメント工業発祥の碑がある。

建物の正面に 創業者の銅像が立っているのが かわいい。ここは かつて日本セメント 中央研究所だったはずだが, その後 日本セメントと 秩父小野田セメントが合併して太平洋セメントになった。中央研究所も 千葉県佐倉市に移転してしまった。

現在 この建物には 太平洋セメントの関係会社が入っているとのこと。

西側の敷地の一部は、平成10年(1998) から讀賣新聞の印刷工場になっている。


その後、平成16年(2004) 頃までに太平洋セメント清澄ビルは解体された。敷地の南東側の一部に集合住宅が建築され、中央部の空いている部分はアサノコンクリートの工場となった。石碑は、当時の入口から北西に100mほどのアサノコンクリート出入口近くに石碑や銅像等がひとまとめに移設されている。当ページで示す地図は、移設以降の場所を示している。

写真

  • 本邦セメント工業発祥の地 碑文
  • 本邦セメント工業発祥の地
  • 創立100周年記念樹
  • 日本セメントの創始者浅野總一郎の像
  • 浅野總一郎像
  • 花崗岩製ローラ
  • 明治27年に製造されたコンクリートブロック
  • 明治27年に製造されたコンクリートブロック
  • フレットミルの花崗岩製ローラ 説明
  • 太平洋セメント清澄ビル

碑文

本邦セメント工業
發祥之地

此地ハ元仙薹藩ノ蔵屋敷跡ニシテ明治五秊大藏省土木寮ニ於テ始メテセメント製造所ヲ建設セリ 同七秊工部省ノ所管トナリ深川製作寮出張所ト改メラレ技師宇都宮三郎氏ニ依リ湿式焼成法ヲ採用シ初メテ外國品ニ劣ラサル製品ヲ㝵タリ 明治十秊一月深川工作分局ト改稱サレ工場ノ擴張相次テ行ハレ同十六秊四月逐ニ初代浅野惣一郎ノ經營ニ移リ浅野工場ト稱スルニ至ル 明治三十一秊ニ月浅野セメント合資會社創立ト共ニ本社工場トナリ同三十六秊十一月本邦最初ノ廻轉窯ヲ設置シ事業愈盛大トナレリ 大正元秊十月組織ヲ改メ株式會社トナリ東京工場ト改稱シ今日ニ改フ 葢シ此地ハ本邦セメント工業創生ノ地ニシテ同時ニ又當社發祥ノ地タリ
仍而茲ニ其然ル所以ヲ録シ之ヲ記念ス

昭和十二秊七月八日

浅野セメント株式會社 
社長 浅野總一郎

THE MONUMENT OF THE BIRTH-PLACE OF CEMENT INDUSTRY IN JAPAN AND ALSO NIHON CEMENT CO., LTD.

地図

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江東区清澄1丁目 付近 [ストリートビュー]