忠類 発祥の地

ちゅうるいはっしょうのち

北海道十勝地方南部の旧 忠類村(現 幕別町)、帯広広尾道 忠類I.C. から北西に約4km、農村地帯の北14線沿い北側に、高さ2m、幅4mほどの立派な石碑が建つ。

説明文には明治27年(1894) に群馬県から入植した岡田新三郎翁により開拓が始まった旨の記述がある。背後には山が迫り、決して平坦ではないこの地をなぜ開墾の地に選んだのかは不明だ。岡田翁は明治大学の前身である明治法学校を卒業したが、北海道開拓を志して単身この地に乗り込んだらしい。道東各地を調査結果、この地に開拓の鍬を入れたようだ。

岡田和志氏所有の土地の寄贈を受け、平成11年(1999) 8月20日、開村50周年記念事業として忠類村が建立した。

碑の材料は日本ではここ以外に島根県の隠岐の島でしか見ることのできない海底火山の噴火が由来の珍しい「コメンド岩」であるらしく、合併後の幕別町が作った「コメンド岩」に関する説明看板が建っている。

歴史の散歩道

(88) チョマナイ山(丸山)のコメンド岩

昔、海賊が埋蔵金を埋めたという伝説をはじめ、多くの話題を持ち、地元住民に親しみの深いチョマナイ山(丸山)は、地球の地核が表面を破り隆起して生成されたもので、非常に珍しく、地核の山々には同じ生成の山はない。
この山を生成している岩石は、昭和9年(1934年)10月、北大の根本忠寛博士により、日本では島根県隠岐島にしかないコメンド岩であると確認された。コメンド岩は、アルカリ性に富む流紋岩の一種で、およそ1000万年前の中新世時代、海底火山の噴火によって生まれたものとみられ、その生成の歩みは、私たちの住む十勝の大地創成の歩みである。

幕別町

忠類村は、平成18年(2006) に幕別町に編入された。

参考:幕別町歴史の散歩道平成25年度版予備.pdf

写真

  • 忠類発祥の地
  • 忠類発祥の地 碑文
  • 忠類発祥の地
  • 忠類発祥の地
  • チョマナイ山のコメンド岩 案内
  • 忠類発祥の地 碑陰
  • 忠類発祥の地
  • 忠類発祥の地 北14線沿い

碑文

忠類発祥の地

北海道知事 堀 達也

明治27年、この地に初めて群馬県人岡田新三郎翁により開拓の鍬が入れられ、爾来幾多の先達により開拓の歴史が刻まれ、忠類の礎が築かれた。昭和24年8月大樹村より分村し、忠類村が誕生現在に至る。ここに、開村50周年を記念し、「忠類発祥の地」として記念碑を建立する。

平成11年8月20日

忠類村

地図

地図

忠類元忠類 付近 [ストリートビュー]