動力織機 発祥之地
どうりょくしょっきはっしょうのち
武豊線 乙川駅から北300mに,知多信用金庫の乙川支店がある。支店の駐車場に「豊田佐吉翁発明 近代力織機発祥の地」と刻まれた,高さ1.6mほどの石碑が建っている。脇には説明板と 動力織機の構造図を示した案内板が設置され,周囲にはベンチが置かれてポケットパークとなっている。
トヨタグループの創始者である豊田佐吉は,27歳で ここ
この技術は,当時の日本の繊維産業を世界レベルにまで一気に引き上げた画期的な発明であり,従来の手織機の20倍の生産性を実現。さらに外国製の動力織機の 1/20 の価格であったと言われる。明治30年(1897) 石川藤八が出資して この地に“乙川綿布合資会社”が設立され,豊田佐吉は60台の動力織機を造って日本で最初の国産の動力織機による工場が稼働した。
この場所は 佐吉が動力織機を開発し,乙川綿布の工場が置かれた場所で,知多信用金庫が乙川支店をこの地に新築移転するに際して設置したもの。平成24年(2012) 5月12日に除幕式が行われた ホヤホヤの記念碑である。
写真
碑文
豊田佐吉翁 発明
動力織機発祥之地
遠州 吉美 日蓮宗本山延兼山妙立寺
第四十五代 貫主 吉塚日浄
はんだ郷土史研究会
平成二十四年五月十二日
明治28年(1895)豊田式動力織機を発明,稼働したのは,まさにこの場所。石川籐八と豊田佐吉が共同で『乙川綿布合資会社』を創立したのもここです。
同社の量産する高品質の織物と新型織機は全国の注目を集め,佐吉は一気に明治産業革命の寵児となりました。そして時をおかず世界の豊田へと発展したのです。八年前,東京でふと思ひついた豊田佐吉翁の夢のやうな空想が,逐に現実の相を現はして躍動したのである。
そして日本製の織機が動力で動いたのはこの乙川の里が嚆矢であった。恐らく翁の生涯を通じての歓喜だったであらう。『豊田佐吉正傳』(豊田佐吉正傳編纂所刊)より
Eight years ago while he was in Tokyo, he thought of and developed the first power weaving machine powered by an electric motor --- the "power loom."
Sakichi bought this idea to Okkawa on one of his visits here.
The first power loom in Japan had its birth and began its operations in Okkawa. It has been used in that town ever since.
Sakichi's sontribution to Okkawa could be one of the most memorable successes of his life.八年前在东京,那一在丰田佐吉翁的脑海中闪现出的梦幻的设想,好像在一瞬间变为一种跃动的现实。日本最初的动力织机在这乙川之乡得以现实。这也许正是佐吉翁贯穿一生的追求与喜悦。