船橋 地名 発祥の地
ふなばしちめいはっしょうのち
船橋駅の南東 約600m。市内を南北に流れる海老川に架かる 「海老川橋」の中央両側に, 「船橋地名発祥の地」「長寿の橋」と書かれた標柱が 祭壇のように造られている この部分を横からみると, 小型の舟の舳先になっているという, 大変凝った造りの発祥碑である。
碑の中央部分に 金属のプレートがあって, ここに由来を記した碑文がかかれていたようだが, うっかりこの部分の写真を撮りわすれたため, 何が書かれていたのかは不明。
橋の欄干に「船橋」の図を示すレリーフが飾られている。小型の舟を横に並べて固く繋いだ上に 板を渡し, 人馬が通れるようにしたものが「船橋」。
2018年に再訪。それなりに経年変化は見られるもののとくに変わった様子は無く健在。
2005年の訪問時にはスルーしていたが、上流側と下流側にはほぼ同じものが設置されている。これが上下流とも
なお、上下流の見て分かる差異としては、上流側だけは真ん中にはなぜか泉重千代翁の手形レリーフがはめ込まれていた。泉翁は、設置された1987年(昭和62年)の前年1986年2月に亡くなった当時の長寿ギネス記録の男性。船橋との縁については不明だが、バブル臭が感じられないこともない。
写真
碑文
船橋地名発祥の地
由来
古い伝説に寄れば 船橋という地名の起りは この海老川の渡しに由来する 古代の英雄が東征の途次 此地の海老川を渡ることができなかったとき
地元民が小舟を並べて橋の代りとし
無事向こう岸に送り届けたという
海老川は長く住民に親しまれてきた
春堤に風吹けば花蝶遊び 秋洲に水澄めば魚鱗躍るといった時代を経 近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され 流域住民にとって“恨みの川”となったが 今 市制50周年の記念すべき年に当り 国 県のご協力を得 市の総力を結集し 河川及び橋梁を改修“希望の川”として蘇ることとなった昭和62年7月25日
船橋市長大橋和夫撰文
浅見錦龍書