吟醸酒 発祥の地

ぎんじょうしゅはっしょうのち

西条駅の南側に、複数の酒蔵があり、西条酒蔵通りを形成している。その一角、もとは吟古館という造り酒屋があった土地を市が取得し約2500万円をかけて整備した西条本町歴史広場(東広島市西条本町708-4)の壁際に、5枚のパネルを設置し、明治頃から本格化したという酒造の歴史杜について説明している。その一枚に、発祥地である表示がある。

写真

  • 吟醸酒発祥の地 (2019)
  • 西条本町歴史広場 (2019)
  • 西条本町歴史広場 入口 (2019)
  • 吟醸酒発祥の地 (2019)
  • 吟醸酒発祥の地 (2019)

碑文

吟醸酒発祥の地
東広島

吟醸酒発祥の地

西条が「酒都(しゅと)」と呼ばれ、吟醸酒(ぎんじょうしゅ)発祥の地となったのには、「軟水醸造法(なんすいじょうぞうほう)」を生んだ三浦仙三郎、同量奇しき精米機を開発した佐竹利市、酒造技術改善を指導した橋爪陽という「広島の酒の産恩人」の影響が大きいと言われています。

安芸津の三浦仙三郎
■三浦仙三郎(みうらせんざぶろう)

弘化(こうか)4(1847)年、三津(みつ)村(現・安芸津町三津)で生まれました。三津の軟水に合わせた軟水醸造法を開発し、酒どころ広島の基礎を築いた、広島の酒の父です。

■吟醸酒を生んだ軟水醸造法

当時、酒造用水としては、発酵(はっこう)が旺盛になりやすいミネラル豊富な水が適していると言われていたのに対して、三津の水は発酵が緩慢(かんまん)になりやすい軟水で、優良な酒を造るのが難しく、腐造(ふぞう)に至ることも多かったようです。三浦仙三郎は灘などを訪れては研究し、科学的手法も取り入れ、「百試千改(ひゃくしせんかい)」の努力を重ねて、軟水でも良質な酒を作り得る技術を編み出しました。また、それを『改醸法実践録(かいじょうほうじっせんろく)』にまとめ、惜しみなく公開して広めました。のちに「軟水醸造法」と呼ばれたその技術は、現代に至る吟醸酒造りの発祥とされています。さらに、広島県酒造組合や醸杜親和会(じょうとうしんわかい)(現在の広島杜氏組合(ひろしまとうじくみあい)へ発展継承)の設立にも大いに貢献しました。三浦仙三郎の尽力は、全国清酒品評会における広島県の酒が上位独占という華々しい結果として表れ、吟醸王国広島の名声を全国に(とどろ)かせました。そして、それ以降長きにわたり、日本の吟醸酒造りは、広島が牽引することとなったのです。

西条の佐竹利市

(略)

西条の橋爪陽

(略)

地図

地図

東広島市西条本町 付近 [ストリートビュー]