五所川原高等学校 発祥の地

ごしょがわらこうとうがっこう

 
撮影:
2023年12月(写真 まさ・なち さん)

五能線 五所川原駅・津軽鉄道 津軽五所川原駅から西に600m、女子部の井戸(五所川原市川端町368-17)脇の電柱に寄り添うように小振りな標柱が建つ。

明治42年(1909) に五所川原女子尋常高等小学校補習科が創設され、その場所を指し示している。女子部の井戸とは、天和元年(1661) に開設された代官所にあったとされるものでいったんは放棄された状態になったが平成6年(1994) に商工会青年部らの手によって復興され、市が管理している。

昭和23年(1948) の学制改革で五所川原女子高等学校となるが、翌年には男女共学の五所川原高等学校となった。

現在の五所川原高校は、当地から北へ650mほどの五所川原市中平井町3-3にある。

写真

  • 五所川原高等学校発祥の地
  • 五所川原高等学校発祥の地

碑文

五所川原高等学校発祥の地

女子部の井戸

掘削された年月は記録が残されていないので詳らかではないが、代官所の井戸だったことから、天和元年(一六六一年)代官所開設(初代代官鳴海勘兵衛)と同時に掘られたものと考えられる。
「女子部の井戸」とは昭和十九年まで町立五所川原尋常高等小学校がこの地に建てられていたことから、この名で一般に呼ばれるようになった。
地下飲料水の悪い五所川原にあってこの井戸の水は水量、水質ともに秀れ、昭和二年(一九二七年)上水道ができるまでは手桶一杯を二銭で売り歩く人もでてなかなかの繁盛をみせたという。
しかし、昭和四十四年頃から水量が少なくなり、利用されなくなったことも手伝い荒廃の一途となったが、昭和四十八年(一九七三年)五所川原ロータリークラブにより、井戸の由来に関する看板が設置され、平成六年(一九九四年)五所川原商工会議所青年部が多くの市民の支援により、井戸の名称と歴史を後世に伝えることを目的にこの地に復興した。

管理者 五所川原市

地図

地図

五所川原市川端町 付近 [ストリートビュー]