御殿場 発祥の地
ごてんばはっしょうのち
御殿場線 御殿場駅の北 約1.7km。県立御殿場高校の南に吾妻神社(御殿場市御殿場196)がある。拝殿に向って左側に大きな自然石に「御殿場発祥の地」と 刻まれた碑が建っている。
「御殿場」という地名は「御殿のある場所」の意味で, 徳川家康がこの地に御殿を作らせたことによる。
家康は慶長10年(1605) に三男 秀忠に譲位した後, 慶長12年(1607) に駿府城に移り, 大御所として二元政治を行っていた。元和元年(1615)、幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の宿泊所として, この地に御殿を造営した。「御茶屋御殿」とも呼ばれる。場所は 現在の御殿場高校から吾妻神社〜穂見神社にかけての一帯。 2000坪強の面積を有し, 周囲は 高さ3mの土塁で囲まれ, 敷地内に水路を通して石橋を架け, 茅葺き屋根に松の柱などを使った豪壮な建物だったという。しかし 家康は 翌元和2年 (1616) に死去したため実際に家康自身に使われることなく, 貞享3年(1686) には取り壊された。
昭和55年(1980) になって, 吾妻神社の林の中で 江戸時代初期のままの土塁跡などが発見され, この地が「御殿場発祥の地」であることが確認された。発見の翌年, 地元の篤志家が この発祥碑を建てた。
写真
碑文
地名
御殿場発祥の地