謡曲 花筐 発祥之地
ようきょくはながたみはっしょうのち
北陸本線 武生駅から東に7km。福井県道201号 菅生武生線の南側に面して“
「花筐」は 室町時代に世阿弥が作った長編の謡曲で,継体天皇と照日の前の恋物語を題材にしている。当地 越前の味真野は,後に第26代継体天皇となる
この神社に隣接して“万葉館”があって,神社と万葉館の間に継体天皇と照日の前の像があって,次のような説明が書かれている。
花がたみ
-継体大王物語-継体天皇と照日の前の像である
室町時代の世阿弥が作った謡曲「花筐」 には二人の美しいロマンスが語られている
越前の国 味真野におられた男大迹皇子はにわかに皇位につくことになり寵愛する照日の前に花筐と玉章を贈って上京し継体天皇となられた
残された彼女は皇子恋しさのあまり花かごと御手紙を持って大和の玉穂の都へと上り紅葉狩りの行幸に遇う
そこで花筐が縁で再び天皇の愛を回復したという
世阿弥には巷間に取材した曲があるが この「花筐」も当時味真野に伝えられていた継体天皇伝説をもとに創作されたものであろう
今 新しい世紀を迎えるに当たり継体大王伝説を伝えて来た先人の心を大切にしここに「花がたみ」の像をつくり永く後世に伝えるものである平成十一年五月吉日
写真
碑文
謡曲花筐発祥之地
謡曲花筐発祥之地建碑由来
ここは人皇第二十六代継体天皇がまだ 男大迹王と申された頃鞍各御所を営み 潜龍されたという聖地伝承の地である。
謡曲花筐に天皇がこの地を即位のため 都に上られた頃の人情味豊で詩的一佸柄を遠く鎌倉時代に於いて斯界の巨匠世阿弥によって作曲修辞佳麗世に名作とうたわれている。
本会は天皇一千四百五十年祭を記念し碑石を美濃の恵那に求め揮毫を時の良 二千石 中川平太夫先生に仰ぎ聖蹟を千歳に顕彰するものである。昭和五十四年十月吉日
味真野花筐会々長 帰山登喜雄 文
帰山 喜伯 書