北海道 建網 大謀網 漁業 発祥之地
ほっかいどうたてあみだいぼうあみぎょぎょうはっしょうのち
函館駅から北東に35km。亀田半島の北岸を恵山岬から森町に通じる国道278号 恵山街道の途中に,
“建網”とは 漁網を‘海中に張り建てる’という意味で,定置網全般がこれに含まれる。“大謀網”は 定置網の大規模なもので,沿岸部に回遊してくる魚を網の中に誘い込む‘垣網’と,入ってきた魚が外に逃げ出さないように工夫した‘袋網’とで構成される。大きなものでは袋網の径は数百m,垣網は 1~2kmにも達する場合があり,当然 資金が必要とされるため,有力な網元が網を設置し,地域の漁民の協力の下に漁獲作業を行うのが通例である。
ここ南茅部地区の漁業は,17世紀末に能登出身の飯田屋与五左衛門が旧尾札部村に移住して始めたと言われる。毎年海岸に押し寄せる魚群に着目した与五左衛門は,アイヌの人々を指導して漁業を振興し,地区が賑わうようになった。天保10年(1839) になり3代目与五左衛門と小川屋幸吉が,南部(岩手県)から 網大工の田鎖丹蔵を招いて,この地に大謀網を建て,何度かの失敗の後にマグロの漁獲に成功。後には サケ漁などにも応用されるようになった。これが北海道における大謀網の始まりとされる。
ちなみに,本州~九州にわたる沿岸地方では,北海道より相当早い時期 (江戸時代初期ごろ) から定置網漁が行われていたようで,イワシ,マグロ,イカ,サバ,サンマ,タラ などの回遊魚の漁に利用された。 網の構造なども徐々に改良されて現代に引き継がれている。
写真
碑文
北海道建網大謀網漁業発祥之地
昭和二十六年漁業制度改革記念
昭和二十九年八月 建之
北海道漁業制度改革記念事業協会
南茅部町指定史蹟
建網大謀網漁業発祥の地
天保十年(1839)尾札部村の 三代飯田屋与五左衛門と臼尻村の 小川屋幸吉が大謀網漁を計画し, 南部の人,田鎖丹蔵を招いて,この 黒鷲岬沖と弁天島岬に鮪大謀網 漁業を試みたと伝えられています
これが北海道の大謀網漁業の 始まりとされています。
大謀網は沖出百七十間(306M)に 敷設され,その後改良を加えられ 鮪の大漁に恵まれました。
戦後漁業制度の改革にあたり 北海道並びに尾札部村により, ここに記念碑が建立されました
碑文は北海道知事田中敏文が 揮毫し,沿革の刻文は尾札部村長 杉谷梅一が印したものです。函館市