井伊の赤備え 発祥の地
いいのあかぞなえはっしょうのち
遠鉄 第一通り駅から西に1.3km、浜松秋葉神社(浜松市中央区三組町39)鳥居脇に看板が設置された。
写真
碑文
井伊家ゆかりの地
浜松秋葉神社
Hamamatsu Akiha Shrine「井伊の赤備え」発祥の地
天正十年〔1582〕、織田信長と徳川家康の連合軍が甲斐の武田勝頼を滅ぼしました。家康は三方ヶ原の戦い以来、信玄・勝頼二代の武田軍の猛勇ぶりをよく記憶しており、勝頼についた遺臣たちの多くを赦免して、自らの家臣団に取り込みました。
この時、八百名を超す旧家臣が「これからは家康殿に従います」と誓った起請文が、ここ浜松秋葉神社に奉納されました。家康は、なかでも当時最強と言われた騎馬軍団のほとんどを若干二十三歳の井伊直政に与えます。これより、直政は武田軍の象徴だった「赤備え」を継承し、「井伊の赤備え」が誕生しました。
直政は、「赤備え」を率いて天正十二年〔1584〕の小牧・長久手の戦い以降、次々と大きな戦功を上げていきました。
当神社に奉納された起請文は、戦災で失われましたが、家康が亡くなって四百年という節目の年にあたる平成二十七年〔2015〕十二月の例大祭において、国立公文書館に残されていた写しをもとに、再び誓詞(起請文)が奉納され、徳川家・武田家・井伊家の御三家のご当主がご参拝されています。The Birthplace of the Ii Clan's Red Army
When Tokugawa Ieyasu defeated the rival Takeda clan's notoriously strong army, he decided to have the strongest warriors join his own troops.
He assigned these troops to his general Ii Naomasa of the Ii clan, and the warriors offered a document pledging their allegiance to Ii Naomasa, signed in blood, to this shrine. The army was famous for their bright red armor.