飯坂温泉 発祥之地
いいざかおんせんはっしょうのち
福島交通飯坂線 飯坂温泉駅から北西に300mに“ほりえや旅館”が,その隣に共同浴場“
飯坂温泉は,鳴子・秋保とともに奥州三名湯に数えられ,古くは「鯖湖の湯」と呼ばれた。日本武尊が東征の折にここ“さばこ”で湯治をしたという伝説もある。鎌倉時代(12世紀)に 西行法師もこの湯を訪れ,ここで
あかずして 別れし人のすむ里は 左波子(さばこ)の見ゆる 山の彼方か
と詠み,これから“鯖湖の湯”という呼称が定着したとされる。
その後 鎌倉時代の末期ごろから湯治場として賑わうようになり,江戸時代中期の元禄2年(1689) に松尾芭蕉もここを訪れている。すぐ近くに「芭蕉と曽良入浴の地」なる石碑も建てられほほえましい。
飯坂温泉には共同浴場が9つあり,“鯖湖湯”は それらの中で最も古い。明治22年(1889) に建設された浴場の建物は,道後温泉の坊っちゃんの湯(明治27年)の建築より古く“日本最古の木造建築共同浴場”とされ,長い間飯坂温泉の象徴とされてきたが,老朽化により平成5年(1993) に建て替えられた。ヒバの木を用いた明治の面影を残す外観と 大理石の湯船で人気を集めた。
飯坂温泉は湯温が高いのが特徴で,慣れている地元の人でないとなかなか入れない。そのため 鯖湖湯に限って観光客のために42~43℃に調整して入りやすくしているという。
明治43年(1910),キュリー夫妻によってラジウムが発見されてから12年後,飯坂温泉の化学的分析が行われ,微量のラジウムが含まれていることが発見され,それ以来“ラジウム温泉”として世界的に有名になった。
このラジウム温泉人気にあやかって売り出されたのが“ラジウム卵”である。と言っても卵にラジウムが含まれているわけではなく,普通の“温泉卵”である。
マンホールのフタにも表示があるものがある。
飯坂温泉発祥の地のマンホール pic.twitter.com/L2p4ySPrt5
— 朋ちん (@kobachan0605) October 29, 2024
日本最初のラジウム発見の地
飯坂温泉駅に近い 十綱橋の横には,円錐形のモニュメントの上に卵を載せた石碑が建っている。
(「発見の地」はコレクションに入りません)
写真
碑文
飯坂溫泉發祥之地
平成元年6月17日
芭蕉紀行300年
鯖湖湯再建100年 記念湯沢町内会
飯坂町有志
飯坂温泉と鯖湖湯のはじまり
はるか昔,鬱蒼とした原生林に覆われた山の中の小さな谷間に 豊かな温泉が湧き 湯の流れは沢となり 湯煙をあげて摺上川に注いでいた
これが飯坂温泉の原点 鯖湖湯の始まりである 伝説に 日本武尊が東征の折 病に伏し佐波子湯に湯浴し たちまち平癒したといわれている
「あかずして わかれし人のすむさとは さばこのみゆる 山のかなたか」と 古歌に詠まれた「さばこ」は飯坂の古称ともいえるようだ
月日は流れ 源平時代の悲劇の名将 源義経とともに永遠の語り草となっている継信・忠信兄弟の父 佐藤基治は信夫の里を統治し「湯の庄司」とよばれ 温泉とのかゝわりの深さを示している
鎌倉も末 伊達政信は湯山城を築き飯坂氏を名のる 此頃よりこの地は湯治場の賑わいをみた
元禄二年 芭蕉は曽良と共に「奥の細道」の旅の一夜を飯坂に過した 随行日記の里程の正確さから この辺りかと推測する事も可能である
明治となり こゝに初めて科学のメスが入れられた 丹波敬三の温泉の定量的分析をはじめとした幾多の研究 中でも直鍋嘉一郎によるラジウムの含有の発見は 飯坂ラジウム温泉名を全国に広めた 悠久の大自然の中に 今も脈うつ鯖湖湯こそ 飯坂温泉の象徴であり歴史である