高熱温泉 発祥之地

こうねつおんせんはっしょうのち

中央本線 石和いさわ温泉駅の東方。もと建っていた場所からさらに北東側の川の対岸(北側)に移設され、副碑が追加されていた。2010年の五十周年イベントにのひとつだったらしい。2007年に開業の石和温泉旅館協同組合が管理する源泉足湯ひろば (笛吹市石和町川中島1607)となっている。石碑はきれいに洗われ、植栽もそえられて「人に見せる」体制が整えられていた。

温泉は 一般に水温によって 4つに分類されている。

  • 25度未満 冷鉱泉
  • 25~34度 微温泉
  • 34~42度 温泉
  • 42度以上 高温泉

つまり “高温泉”は 源泉そのままで,加熱しないで入浴に供することのできる温度の温泉である。“高熱温泉”という言葉は定義がはっきりしないが,おそらく“高温泉”のことか,それに近い意味で 使われているだろうと思われる。

石和温泉といえば昭和にはたいへんもりあがり、古い由緒ある温泉地と思われがちだが,ボーリングにより最初に温泉を掘り当てたのは 1961(昭和36)年のことで,まだ50年足らずの歴史しかない。当時ブドウ畑だったこの地に,山梨交通が保養所を建てる目的で温泉の掘削を試みたところ, 高温の温泉が大量に湧出したという。ちなみに泉温はおよそ60℃。

東京から 列車で2時間足らずという近さのため 急速に発展し, 熱海に次ぐとも言われる規模の温泉街・歓楽街が造られた。

なお,「高熱温泉」の発祥の地といっても “日本で最初の高熱温泉”という意味ではない。 たとえば 奈良時代以前から温泉として利用されていた兵庫県の有馬温泉は,最高泉温98℃である。このあいまいな名前のために,せっかく造られた発祥碑は 温泉地の観光資源にもならず, 今では地元でもほとんど忘れ去られた存在となっている様子。 すなおに「石和温泉発祥の地」としておけばよかったのに と惜しまれる。

実際には「石和温泉発祥の地」碑は、副碑でも語られる小松遊覧農場の跡地(現在はウィンズ石和)に建つ。こちらは1956年(昭和31年)オープンで「石和温泉発祥」に時系列的に相応しい。ただしぬるかったらしく、「31℃で湧く源泉を加温のローマ風呂」に対して5年遅れで発見された「60℃の源泉湧出」を記念しつつ先輩へ配慮して建てられた碑である。開墾し調査し採掘し、それを笑われながら自費で開発した先輩に対し、井戸を掘ったら出た山梨交通。そう軽々しく石和温泉発祥を名乗れない。

石和温泉発祥碑も、高熱温泉発祥碑も、どちらも設置は1963年(昭和38年)というのは、ただの偶然ではなさそうだ。

写真

  • 石和温泉足湯ひろば
  • 石和温泉すこやか観音
  • 高熱温泉発祥之地
  • 高熱温泉発祥之地 副碑 碑文
  • 高熱温泉発祥之地
  • 高熱温泉発祥之地 背面
  • 高熱温泉発祥之地 背面 碑文
  • 足湯
  • 石和温泉旅館協同組合

碑文

高熱温泉發祥之地

山梨県知事 天野久 書

此ノ地旧笛吹川廃河川敷南ニ富岳ヲ仰ギ西ニ白根ノ銀嶺ヲ望ム眺望頗ル佳ナリ石和郵便局長五味松蔵氏其ノ境地ヲ卜シテ山梨交通健康保険組合保養所ヲ誘致シ組合ハ高熱温泉ノ発掘ヲ計画シ松本鑿掘株式会社々長高橋作人氏ニ委嘱シテ昭和三十六年一月十五日逐ニ高熱泉ヲ発見湧出ニ成功セリ今日石和温泉郷開発々展ノ濫觴トシテ高熱温泉発掘ノ嚆矢タリ茲ニ吾等相謀リ温泉湧出発祥ノ霊域ニ碑ヲ建テ以テ後代ニ伝ヘントス即チ其ノ梗概ヲ叙ス

昭和三十八年四月 八田政恕誌

発起人
山梨交通株式会社健康保険組合
松本鑿掘株式会社
笹一酒造株式会社
(以下個人名省略)

郵便局長をやると公職として扱われるのか、氏名も住まいも公表され後世に残されちゃう習慣だったんですね。

石和の温泉は、大蔵経時山のふもとに明治時代より湧いていました。昭和三十一年、小松遊覧農場に温泉が湧きローマ風呂としてお目見えしたことで石和温泉の開発のきっかけになりました。

昭和三十六年一月二十四日、ここから西へ約六百メートル石和町八田四九〇ー三一番地、山梨交通保養所施設内で井戸を掘削していたところ、摂氏六十度以上もある温泉が噴き出し、毎分千二百リットルもの湯が葡萄畑の間を流れる小川に溢れ出ました。青空温泉の出現です。それから五十年、多くの先人達が築き上げた功績により石和温泉は全国屈指の温泉郷となりました。この節目の年に、石和温泉郷の発展に携わられた関係者の皆様に敬意を表するとともに「高熱温泉発祥の碑」を移設し後世に伝えて行こうとするものです。

(湧出温度、湧出量について 出典 石和町誌より)
石和高温温泉湧出五十周年記念実行委員会

地図

地図

笛吹市石和町川中島 付近