芋煮会 発祥のナントカ
いもにかいはっしょうのち
【宅配de風物詩】
— コッペdeサンド+昭和基地= (@tiara_bread) June 27, 2019
中山町の鍋掛松。
最上川舟運時代、最上川河畔にあった松に鍋をかけて(こちらの松は復元)船頭たちが里芋と棒鱈を煮込んで食べられていたこちらが芋煮会のルーツと。#山形#芋煮会#中山町#芋煮会発祥の地 pic.twitter.com/WNitEYY2ob
令和5年(2023) に、当発祥の地の名称が商標登録されたので、継続利用のための申請をしない当サイトにおいては表示をひかえることにした。
→ 中山町
https://www.town.nakayama.yamagata.jp/soshiki/sangyou_shinkou/1275.html
写真
碑文
「
鍋掛松 」~芋煮会発祥の地~
最上川舟運が中山町長崎から荒砥まで通じたのは、元禄7年(1694年)のことそれまでは、長崎港が舟運の終点であり、米沢方面へ船荷の積み換えが行われた要地でした。内陸からは米、紅花などを運び、一方京都からの帰り荷には衣料、蚊帳や雛人形など上方文化を積み帰ってきました。
船頭や水夫たちは船着場で風待ちの逗留の間、京都から運ばれた棒だらと地元の里芋を材料に河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べました。
これが山形名物「芋煮会」の始まりであり、ここに立つ松が「5代目鍋掛松」なのです。