除痘館 発祥の地

じょとうかんはっしょうのち

京阪本線・地下鉄御堂筋線 淀屋橋駅から南西に220m、延命地蔵尊入口前に小振りな石碑が置かれている。碑文の文字が白くて、やや読みづらい。

除痘館は、天然痘の予防に尽力した緒方洪庵によって設立された種痘所である。その発祥の地は、嘉永2年(1849) に緒方洪庵が初めて除痘館を開設した大坂(現在の大阪)の古手町である。

当時の日本では天然痘が猛威を振るい、多くの人々の命を奪っていた。緒方洪庵は、西洋医学の知識に基づき、天然痘の予防には種痘が有効であると認識していた。しかし、種痘はまだ一般には広く普及しておらず、その実施には様々な困難が伴った。

緒方洪庵は、私財を投じて除痘館を設立し、牛痘種痘の普及に努めた。古手町に設けられた最初の除痘館は、その後の種痘普及の拠点となった。ここでは、種痘の実施だけでなく、種痘に関する知識の普及や医師の育成も行われた。

除痘館は、その役割が拡大するにつれて手狭になったため、万延元年(1860) に緒方洪庵の蘭学塾である適塾(中央区北浜3丁目3-8)の南側(現在の緒方ビル近く)へと移転した。この移転により、より多くの人々が種痘を受けられるようになり、天然痘の撲滅に大きく貢献した。除痘館の設立は、日本の公衆衛生の発展において画期的な出来事であった。

碑文にあるように西隣の地が除痘館だったと判っているようだが、一般的な民間地に石碑を設置するよりも地蔵尊というある意味公共性の高い場所を間借りして安定的表示を目指したのだろう。

写真

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碑文

除痘館発祥の地

江戸時代最も恐れられていた疫病の天然痘がジェンナーの発明した牛痘の種痘で防ぐことができることがわかった。嘉永二年(一八四九)に緒方洪庵により大阪で最初の種痘が行われたのが古手町この碑の西隣の地である。洪庵はこの種痘所を除痘館と称して同志と共にここを中心に全国的に種痘事業を展開した。除痘館は万延元年(一八六〇)に適塾の南側に移転した。

緒方 洪庵

(1810~1863)

地図

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中央区道修町4丁目 付近 [ストリートビュー]