改良 土佐節 発祥之浦
かいりょうとさぶしはっしょうのうら
“萩の浜海水浴場”近くの 国道脇に, 「改良土佐節発祥之浦」という石碑と「播磨屋 亀蔵・佐之助 頌徳碑」が 並んで建っている。
一般的な鰹節の製法は, 三枚に下ろしたカツオを 釜で煮て, 燻蒸し, 天日で乾燥し, ムロに入れてカビ付けをする, という工程で作られる。完成までに数ヶ月かかる。これによって 水分が失われて 木材のように硬くなり, 雑カビも付かなくなる。(枯節)
鰹節の原型は 室町時代からあったと言われるが, 単に 煮たカツオを天日で干したもの(干しカツオ)や, ワラを用いての火乾法で作られていた。燻製法が確立したのは江戸時代になってから, 紀州において 燻製によって魚肉の水分を除く方法を 考案したことに始まる。さらに カビをつけた“かび節”も紀州に始まり, 薩摩・土佐・伊豆など 全国に広まった。
土佐の鰹節は 播磨屋亀蔵・佐之助父子が, 紀州の職人からその技術を学んでだのが始まりとされ, 「改良土佐節」と呼ばれている。
写真
碑文
改良 土佐節 発祥之浦
播磨屋亀蔵 天明二年宇佐浦にて出生嘉永六年二月二日歿 行年七十三才
宮尾佐之助 亀蔵長男 文化二年出生明治二十三年十月十七日歿 行年八十六才亀蔵は青年の頃紀州印南の漁夫から鰹節製法を伝授された その頃は「乾かすに雨降れば焚火をもって籠の下より水気を去るなり」(日本山海名産図絵寛政十年)と記されているように 自然乾燥と火力乾燥を併用していた 亀蔵は佐之助とともに薪を使って火力の調節をはかり 煤煙の効果を重視するとともに黴付けの工夫その他バラ抜き もみ付等諸技術の改良に苦心を重ね 幕末に至り燻乾法 黴付法を確立して風味絶佳の改良土佐節を完成し 土佐節の声価はさらに髙揚した
明治新政府の産業振興政策により 地元で佐之助の教えを受けた川内弥之助 西岡芳松等が日本各地に招かれてこの改良方を拡め かつお節製造業界に尽した功績もまた偉大である 明治十七年佐之助はその功績により田辺知事から賞状を授与された 亀蔵生誕二百年に際し 有志相はかりこの業績を永く賛え斯業の発展を期するとともに鴻恩に感謝の念をもってこの碑を建てる昭和五十六年三月七日
播磨屋亀蔵佐之助頌徳碑建設期成同盟会