上山温泉 発祥の地
かみのやまおんせんはっしょうのち
所在地の住所はその名も
山形を代表する温泉地の一つである「かみのやま温泉」は、1458年に肥後国(現在の佐賀県)の旅の僧侶・月秀が、脚(脛)を痛めた鶴が、沼地で身体を休めていたのを目撃したことが温泉発見のきっかけとされている。
月秀が村人と協力して沼を干拓して開湯したこの地は湯の小路と呼ばれ、温泉街の前身となった。その後、温泉発見の言い伝えにちなんで「
鶴が休んでいたとされる沼地の岩は「鶴の休石」と名付けられ、石碑のすぐ隣に現在も存在している。3羽の鶴の像が石の上に設置されており、岩の前には、比較的新しい(おそらく開湯555年の2013年設置)「かみのやま温泉源泉」の看板と説明がある。
道路に面した石碑には「大正4年11月完成」とある。道路から見て裏側には「御即位記念 湯町道路拡張之碑」と書かれている。おそらくこちらがこの碑のそもそもの設置目的で、本来のおもて面であったのではないかと推察される。
もう一つの、足湯の奥にある碑は、昭和57年(1982年)設置。こちらに温泉の歴史と、鶴の休石の由来が記述されている。
おそらく、この一帯を再整備する際、道路際の古い石碑の裏面(現在の表面)に「上山温泉発祥の地」と彫り直したのだろう。この面の字だけが機械彫りを思わせる現代的な印象だ。元々何か書いてあったのかどうか、今となってはわからない。
手洗い鉢には温泉成分の結晶がびっしりと張り付いており、泉質の良さを証明している。傷ついた鶴が湯治をしたという伝え話もうなずける。
近隣のみなさんがきちんと手入れをしていると見え、足湯や温泉を利用した手洗い鉢もきれいだ。足湯には消火器まで設置してあると思ったら、スタンプ置き場だった。
写真
碑文
上山温泉発祥の地
御即位記念 湯町道路拡張之碑
大正四年十一月完成
上山温泉発祥の地 鶴の休石の由来
上山温泉は僧月秀により今から五百二十四年前の長禄二年に発見された 肥前(佐賀県)杵嶋郡の僧月秀は諸国行脚の途次この上山に耒り 経塚山の南麓法界寺に錫を留めた この附近は水を湛えた沼沢地帯であった
ある日巡錫の折 沼のほとりで足を痛めた鶴が脛を浸してついに病が癒え飛び去るのを見て霊泉 あることを知り 里人と共に沼の水を干して温泉を発見した このおとから鶴脛温泉と名づけられ 鶴が脛を浸すために休んだ石がい「鶴の休石」とされた
温泉が発見されたので 人家も建ち並び湯治場として聚落をなしたことから「湯の小落」と称されたのが現在の湯町である
僧月秀は六十四歳で入寂 軽井沢浄光寺にその墓がある
昭和五十七年五月八日