金沢大学 発祥の地
かなざわだいがくはっしょうのち
平成23年(2011)11月,金沢市内“武蔵”交差点近くの金沢
ここは 旧加賀藩の“金沢彦三種痘所”があった場所とされる。金沢大学医学部の前身 旧制金沢医科大学のルーツはこの彦三種痘所であるとされ,その跡地が彦三郵便局の敷地内であることが特定され,金沢大学創基150年を記念して この碑が建立された。
金沢城公園にある「金沢大学誕生の地」は,旧制第四高等学校などいくつかの学校を統合して 国立大学としてスタートした場所,「発祥の地」は 各学部の中で最も歴史の古い医学部の出発の場所である。
種痘(天然痘の予防接種)はイギリスの医師・ジェンナーが 1796年に牛痘を用いて開発した,安全な予防法として有名。日本では 九州秋月藩・京都・大阪,次いで江戸などで種痘が行われるようになり,ここ加賀藩での種痘所開設は幕末の文久2年(1862)で,江戸に遅れること4年後のことであった。
この種痘所は その後「卯辰山養生所」「石川県金沢医学館」「石川県甲種医学校」「第四中学校医学部」「第四高等学校医学部」「金沢医学専門学校」「金沢医科大学」と変遷して,現在の金沢大学医学部となった。
写真
碑文
金沢大学発祥の地
彦三種痘所跡地
当時恐るべき災厄であった天然痘を種痘により未然に防ぐため,加賀藩は1862(文久三)年三月に彦三種痘所を開設し 黒川良安 津田淳三 大田美農里 高峰元稑 鈴木儀六 伏田元幹ら計二十五名の医師がこれに参画した 彦三種痘所はこの地に存在したと推定され 卯辰山養生所金沢医学館 石川県甲種医学校 第四高等学校医学部 官立金沢医科大学 国立金沢大学へと続く系譜の淵源となった2011(平成二十三)年十一月 国立大学法人 金沢大学