観海流 発祥地

かんかいりゅうはっしょうち

紀勢本線 阿漕駅から北東へ約2km。 阿漕浦の北端の津ヨットハーバーにある津ヨットハーバー(津市柳山津興371)を眺める様に駐車場近くに「流祖宮先生像」が建っている。発祥碑のそばに 津市教育委員会による 観海流の説明板が設置されている。

「観海流」は伊勢湾を中心に発達した 日本古流泳法。幕末の19世紀半ばに,宮発太郎信徳によって 津の藤堂藩に導入された。観海流の泳法全体を“泅水しゅうすい術”と呼ぶが,泅水とは 水上を上手に浮かび泳ぐことを意味する。 その基本の泳ぎ方は 蛙足の平泳ぎであり,陣太鼓を打ち鳴らし 掛け声勇ましく遠距離を集団で遠泳することが 観海流の特徴である。

写真

  • 流祖宮先生像
  • 観海流発祥地
  • 観海流発祥地 碑文
  • 泅水術観海流 説明

碑文

観海流発祥地

流祖宮先生像

碑銘

嘉永五年武州忍藩の浪士宮發太郎信德先生諸國漫遊の途次當藩に来遊時の閣老藤堂高克公号帰雲に聘せられ水泳師範となる 其の泳法実に神技を極め恰も陸を行くが如し 公こゝに於て觀海如陸の句をおくりて激賞せらる 先生との賞句をとりて流名となし流祖となる 尓来觀海流と称し此処阿漕浦に道場を設けて子弟を教導す 安政三年高弟山田省助衣鉢を継ぎ初代家元となり二代山田羆之進三代現家元山田慶介に至る
 今年茲に發祥百年祭の佳季を迎え其の功德を不朽に伝えんため全國の門弟有志あいはかり之を建つ 時に昭和二十九年七月二十八日

最高師範 垂髪猛雄謹書

(芳名略)
日本水泳連盟 外有志一同

津市指定無形文化財

泅水術しゅうすいじゅつ 観海流かんかいりゅう

江戸時代 昭和32年6月10日指定

 この泳法の開祖は,武州忍藩(現在の埼玉県行田市)の浪人宮発太郎信徳で,諸国を巡るうちに水泳術を習得し,幕末の嘉永5年(1852)に藤堂藩へ来藩した。その時,家老藤堂高克たかよしによってその水泳術が高く評価され,藩校有造館ゆうぞうかんの教科の1つに取り入れられて阿漕あこぎ浦で教えられるようになった。観海流の名も藤堂高克がその泳法を評して「海を観ること陸の如し」と詠んだことにより名づけられた。宮発太郎は山田省助とその弟の種村順次郎に免許皆伝を与えた後,津藩を去った。
 観海流は,疲労が少なくいつまでも静かに泳ぐことができる。初代家元となった山田省助には,ここ阿漕浦から泳いで伊勢湾を横断し,知多半島の常滑で味噌を買い,頭にしばってまた泳ぎ帰ってきたという話が伝わっている。泳ぎ方としては,かえる足の平泅ひらおよぎを基本泳法とし,太鼓による長距離団体泳法を特徴としている。業前わざまえとして,一つ拍子抜手,三つ拍子抜手,半身泅かたみおよぎ,浮身などがある。
 明治4年(1871)廃藩置県によって他の武術ともども指導の場を失ったが,明治11年(1878)に道場が再開され多くの子弟が育っていった。現在,毎年1月に寒中水泳を行っている。

津市教育委員会

地図

地図

津市柳山津興 付近 [ストリートビュー]