絹糸紡績 発祥之地

けんしぼうせきはっしょうのち

高崎線 新町駅の西北西 約500m。国道17号からカネボウフーズへの入口にある「鐘紡公園」の中, 隅の方に 大きな自然石に 碑文を書いたプレートを張り付けた石碑がある。この碑の右側には 桑の葉に蚕のレリーフが置かれている。

また 公園の角, 国道17号上り線から見える位置に, カネボウフーズの案内看板があり, ここにも「絹糸紡績発祥の地」と書かれている。

カネボウフーズ新町工場は, 明治10年(1877) に「内務省勧業寮 絹糸紡績所」として開設された。 絹は 明治時代の日本が 外貨を獲得できた最大の輸出品であり, 明治政府は 製糸業の発展のために, 群馬県・富岡製糸所を開設, その5年後に この絹糸紡績所を設立した。 (くず繭などから絹糸を作るため 「官営新町屑糸紡績所」とも呼ばれた。)

明治20年(1887) に民間に払下げられ「三越呉服店新町三越紡績所」となり, さらに 三井家工業部の「三井新町紡績所」と改称。明治35年(1902) には絹糸紡績株式会社と合併し「絹糸紡績㈱新町工場」に, 明治44年(1911) には 鐘淵紡績と合併し「鐘淵紡績㈱新町工場」となる。

1975(昭和50)年 紡績工場としての操業を終えた。

絹糸は まゆから取られる単繊維で, 一個の繭から 1kmを超える 長さの生糸が得られるという。
「絹糸紡績」は, 繭から生糸を取った 残りのくず繭など, 生糸にすることのできない繭や糸くずなどを原料として 綿状の短繊維を作り, 糸として紡ぐことをいう。“絹紡”(紡績絹糸)は, 銘仙・富士絹・縫糸などの原糸となった。


多野郡新町は、平成18年(2006) に高崎市に編入された。

カネボウ㈱は、長年の粉飾決算と事実上の経営破綻により、平成19年(2007) に解散。子会社は各社へ事業譲渡され、当地にあったカネボウフーズもクラシエフーズとなった。そのためか、カネボウフーズの看板は取り外され、はずされた土台だけが残っている状態だった。新制クラシエはカネボウの影をできるだけ取り去りたい意向か。

公園は草が伸びていたが手入れされずに荒れ放題というわけでもなく、季節によるものかとも思われる。

写真

  • 何かの石碑
  • 絹糸紡績発祥之地
  • 絹糸紡績発祥之地 蚕と桑のレリーフ
  • 絹糸紡績発祥之地 公園
  • 紡績公園 石碑
  • 絹糸紡績発祥之地 入口の看板
  • 絹糸紡績発祥之地 銘板(2019)
  • 絹糸紡績発祥之地(2019)
  • 紡績公園 看板は撤去済(2019)
  • 看板撤去跡
  • 紡績公園銘碑も篠に覆われていた(2019)

碑文

絹糸紡績発祥之地

明治10年10月20日創業
昭和50年4月30日操業閉ず

地図

地図

高崎市新町 付近 [ストリートビュー]