我が国 最初の 気球 飛揚の地(移設)
わがくにさいしょのききゅうひようのち
市立市民病院とホテルニュータンダの間にある 十八銀行体育館 前に, この碑があった。碑の建てられていた場所が長崎みなとメディカルセンター()再開発により、碑が撤去された。
十八銀行体育館の敷地は西側に隣接する市民病院に売却され、病院の新棟の建設のため「我が国最初の気球飛揚の地」は撤去され行方不明となっている。代わりに「文化元年(1804)レザノフ使節上陸の梅ヶ崎ロシア仮館跡」という、長崎日ロ協会が設置した説明板が建てられていて、ここで気球が揚げられたことが記されている。
再開発完了後、裏手のオランダ通り沿いに再設置された。
→ 我が国最初の気球飛揚の地
写真
碑文
我が国最初の
気球飛揚の地
我が国最初の気球飛揚の地跡
Site of Japan's first baloon launching by Russian sailors in 1605文化2年(1605)1月5日, 長崎入港中のロシア使節レザノフ一行の軍艦乗組員が この地から 当時日本人が見たことのない, いまでいう熱気球を揚げてみせた。
多分, 自国の先進ぶりを“アピール”したものだろう。