我が国 最初の 気球 飛揚の地(移設)

わがくにさいしょのききゅうひようのち

現存せず
撮影:
2004年3月(写真 Y.K.さん)
2014年11月(写真 まさ・なちさん)

市立市民病院とホテルニュータンダの間にある 十八銀行体育館 前に, この碑があった。碑の建てられていた場所が長崎みなとメディカルセンター()再開発により、碑が撤去された。

十八銀行体育館の敷地は西側に隣接する市民病院に売却され、病院の新棟の建設のため「我が国最初の気球飛揚の地」は撤去され行方不明となっている。代わりに「文化元年(1804)レザノフ使節上陸の梅ヶ崎ロシア仮館跡」という、長崎日ロ協会が設置した説明板が建てられていて、ここで気球が揚げられたことが記されている。

再開発完了後、裏手のオランダ通り沿いに再設置された。
我が国最初の気球飛揚の地

写真

  • 我が国最初の気球飛揚の地 (2004)
  • 我が国最初の気球飛揚の地跡 説明 (2004)
  • 撤去後 (2014)
  • 撤去後 (2014)

碑文

我が国最初の
気球飛揚の地

我が国最初の気球飛揚の地跡
Site of Japan's first baloon launching by Russian sailors in 1605

 文化2年(1605)1月5日, 長崎入港中のロシア使節レザノフ一行の軍艦乗組員が この地から 当時日本人が見たことのない, いまでいう熱気球を揚げてみせた。

 多分, 自国の先進ぶりを“アピール”したものだろう。

地図

地図

長崎市新地町 付近 [ストリートビュー]