近代文学 発祥の地本郷
きんだいぶんがくはっしょうのちほんごう
地下鉄 丸ノ内線・都営地下鉄 大江戸線 本郷三丁目駅から 北西に300m。菊坂通りの途中, 本妙寺坂とのくい違い交差点を 北に上ると, 右側に大きなマンション プラウド本郷(文京区本郷5丁目18-2)がある。 その入口前の柱に「近代文学発祥の地 本郷」というのを含めて 数枚の銅色のプレートが貼りつけられている。
東京 本郷一帯には 坪内逍遥/樋口一葉/石川啄木/二葉亭四迷/竹久夢二…… 等 多くの文人(文豪)が住んだ。特に 菊坂周辺には 明治~大正期に 多くの文人が集まった。それらの主な名前は 下記の碑文にも書かれている。近くの 本妙寺坂にある男女平等センターの前には『菊坂界隈文人マップ』が掲示されていて, これを眺めると 非常に多数の文士の名前が出てきて 驚かされる。(下写真参照 … 20人ぐらいの顔が見られる。)
なぜ本郷が文士の町になったのか、その理由はよくわからない。 本郷には明治10年(1877) に東京大学が設置され, 周辺に多数の学生が住んだことが 多少なりとも関係があるのだろうか。いずれにしても 結果的には 多くの文士を引きつけた場所であったようだ。 このため本郷は「近代文学発祥の地」と呼ばれることになった。
この集合住宅が建つ地は、明治の学制発布によって最初にできた小学校である「第四校」があった場所であり、その後、明治末期からは女子美術大学の前身 女子美術学校があった。
真砂坂近くにある“文京ふるさと歴史館”には “文人のまち 文京”というコーナーがあって 次のように書かれている。
文京の地には江戸時代から数多くの文人たちが暮らしてきました。江戸の文学を支えた文人たち、そして、近代文学を発展させてきた文人たちの多くがこの地に居を構えました。なぜ文京の地に住んだのか、その理由は時代ごとに違うとしても、この地が時代の文化を支えたのは間違いありません。
写真
碑文
近代文学発祥の地 本郷
近隣に住んだ人々
- 樋口一葉
- 石川啄木
- 坪内逍遥
- 徳田秋声
- 宮沢賢治
- 二葉亭四迷
- 竹久夢二
- 大杉栄
- 谷崎潤一郎
- 直木三十五
- 宇野浩二
- 広津和郎
- 伊藤野枝
- 高田保
- 宇野千代
- 尾崎士郎
- 宮本百合子
- 石川淳
- 月影竜之介
- 坂口安吾
他