近代 水道 発祥の地
きんだいすいどうはっしょうのち
京浜東北線・市営地下鉄 桜木町駅の約1Km西方、京急 日ノ出町駅から約500mに野毛山公園がある。この公園の中央付近の「野毛山配水池」に面する広場に“近代水道の父”と呼ばれるヘンリー・スペンサー・パーマーの像と発祥の地を示す石碑が建っている。
江戸末期に開港された横浜は急激に人口が増加し、水不足に悩まされていた。パーマーはイギリス人の工兵中佐(後に少将)で、中国 広東や香港で水道工事を成功させていたが、神奈川県の要請で明治16年(1883) に来日。横浜から40kmも離れた道志川の水源から、水道管を延々と野毛山まで引いてきて、ここに沈殿池や貯水池を建設し、市内に配水して横浜の水道を完成させた。
この野毛山浄水場は、関東大震災で破壊されたため廃止されたが、現在も配水池として横浜中心部への上水道の供給源となっている。
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大和誌神奈川県大和市中央林間のさくらの散歩道と水道みちの一角には、津久井で取水し横浜まで送水した水道道の通過地で、『水道道「トロッコ」の歴史』という案内板がある。案内文中で、わが国最初の近代水道であると紹介されている。
写真
碑文
近代水道発祥の地
(野毛山貯水場跡)明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。
当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。
いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。
横浜の水道は、英国人H.S.パーマーの設計・監督によるものであるが、沖守国県知事をはじめ三橋僕方(後に市長となる)、三田善太郎など多くの日本人の努力も忘れることはできない。
パーマーは、横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。
さらに、横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残したほか、天文台の建設やロンドンタイムズへの寄稿など広い分野で活躍し、明治26年(1883年) 54才で没し東京青山墓地に眠る。
横浜水道創設100周年を迎えるにあたり、パーマー像をこの地に建て、先人の業績を讃え、明日への発展を願いたいと思う。
昭和62年4月 横浜市長 細郷道一