近代 塗装 伝来之碑
きんだいとそうでんらいのち
長崎電軌 市民病院前の150m東に 湊公園がある。公園の西端に記念碑が建っている。
日本では古くから“漆”に代表される塗料が使われてきた。ペンキ(ペイント)による近代塗装が伝来したのは 安政元年(1854)のペリー来航以後のことで、日米和親条約締結の交渉を行う建物(横浜)に 江戸の職人 町田辰五郎が塗ったのがペイント塗装の最初と言われる。その後 幕末から明治初年にかけて 多数の洋風の建物が建てられ ここにペイント塗装が行われるようになった。
しかし, 鎖国日本で唯一西洋に向って開かれていた 長崎出島のオランダ屋敷では、18世紀半ばには 既に一部の建物にペイント塗装が行われていたことを示す資料が見つかっている。このことを記念して, 出島の近く(200m南)にあるここ湊公園に伝来の記念碑が建てられた。
なお, 横浜市には「我国塗装発祥之地記念碑」が建てられている。
写真
碑文
近代塗装伝来之碑
わが国における本格的なペイント塗装は 幕末より明治初年にかけて導入された洋風建築にはじまっているが 長崎出島のオランダ屋敷内 では18世紀中頃すでに一部の建物にペイント塗装が行われていた
ここにわが国近代塗装伝来を記念して 由緒深い長崎の地にこの碑を建立する
昭和55年4月
社団法人 日本塗装工業会
九州支部連合会