耕地 整理 事業 発祥の地

こうちせいりじぎょうはっしょうのち

現存せず
撮影:
2004年5月(写真 H.O.さん)
2019年1月(写真 まさ・なち さん)

羽越本線 羽前水沢駅から北西に800m。国道7号を 由良海岸から由良峠を越え, ぱっと水田地が開けた左側に突如としてこの碑(看板)が現れる。

「美田」と何度も能書きに書かれているが, 美田具合はあまり撮影できなかった。


平成30年(2018) 7月頃にはまだ立っていたはずだが、遅くとも2019年1月には、三角柱が撤去され台座部分だけになっていた。史跡の地図記号を表しているわけではないと思われる。

写真

  • 耕地整理事業発祥の地 (2019)
  • 耕地整理事業発祥の地(2019)
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  • 耕地整理事業発祥の地 碑文

碑文

耕地整理事業発祥の地

耕地整理 県内第壱號地の碑

 上郷村字大戸前で明治三五年県下第壱號の耕地整理が実施される。その面積ニ四町余なり。この美田も幾多の苦難と担い手である農民の血と汗に依る拓地なり。顧り見れば明治一七年「本田の乾田は始まれり」の新農法の普及で乾田馬耕の伝習, 耕地整理の実施, 開田の増加と村を揚げて取り組む。これが勧農会稲作改良規定なり。明治三二年耕地整理法が施行, 仝三三年, 山添村と広瀬村を選定し模範整理地として技師を招聘し三六年より始める。
 これが県下初の耕地整理地と自認されておったが, 山大学徒宮崎勇氏の論考を加えての実証により政令外の農民主導のもと, 村ぐるみで実施したのがこの地で我が国有数の高収産地となる。それも先人の耕して美田するも農民で, 農民こそが歴史をつくる人であった。

平成四年十月吉日

八沢川土地改良区
庄内民俗学会員 土岐庄八謹書

地図

地図

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