農業 電化 発祥の地

のうぎょうでんかはっしょうのち

 
撮影:
2018年10月(写真 まさ・なち さん)

日本海東北自動車道 鶴岡西I.C.と、山形自動車道 鶴岡I.C.の間、国道7号から南に逸れた羽州浜街道沿いの小公園に小振りな石碑と背の高い看板が建つ。明治35年(1902) 6月に完成した矢馳揚水場を記念するものである。

当時の矢馳地区では水田に必要な水を十分に確保することが難しく、雨が少ない時期には水不足による農作物の被害に悩まされていた。そこで矢馳の篤農家・木村久兵衛が電力による揚水を計画し、矢馳耕地整理組合を組織して事業を進めた。

木村は鶴岡水力電気株式会社の技師を伴って東京などの揚水施設を視察し、ドイツのシーメンス社から15馬力(約11kW)の電動機を輸入した。ポンプは石川島造船所に製作を依頼し、湯尻川から水を汲み上げて約280haの水田を灌漑する揚水場を完成させた。これが日本で初めて電気を農業用揚水に利用した事例とされ、日本の農業電化の幕開けとして位置付けられている。

記念碑は農業電化発祥50周年を記念して昭和27年(1952) 11月3日に建立された。その後、昭和37年(1962) に国道7号の新設に伴って揚水場そのものは道路の向かい側へ移設された。現在の揚水場はその後の改造を経たものであるが、湯尻川から農業用水を汲み上げる役割を受け継いでいる。

写真

  • 農業電化の幕開け碑
  • 農業電化発祥の地 案内板

碑文

日本農業電化
発祥の地

わが国農業電化発祥地
矢馳揚水場について

明治三十五年(一九〇二年)六月、当時西田川郡大泉村のこの場所で同村矢馳部落 木村久兵衛氏(先代)の尽力により電気を利用し、附近を流れる湯尻川より揚水、二八〇余ヘクタールの水田に灌漑したのがわが国農業電化の初めてであるといわれております。
当地(庄内)では明治三十一年(一八九八年)七月鶴岡水力電気株式会社が創立され、赤川の上流に行沢発電所(出力百五十キロワット)を設立し、初めて鶴岡の町に電灯がついたのは明治三十三年(一九〇〇年)九月で、その頃は電灯すら危険視されており電気の農業利用などは考えもおよばなかった時代でありました。
木村氏は、前年まで既に耕地整理を完了した同地域の極度の用水不足を救うため、電気揚水のことを考え、鶴岡水力電気株式会社の今井技士を伴い、東京多摩川浄水場や、浦賀ドックの施設等を見学し、揚水機設置を決意したのであります。
そして十五馬力のモーターをドイツのシーメンス電気会社から輸入し、ポンプは石川島造船所へ発注製作させ、苦心惨胆の末ついにわが国で初めて電気を利用した揚水場をこの場所に完成したのであります。
技術的な困難もさることながら、国の補助や融資の途のなかった当時において、組合の結成や、資金の調達には率先私費を投ずるなど並大抵ではなかったのであります。
その後年移り、昭和二十七年十一月三日、農業電化発祥五十周年を記念し、本説明板、後方の地に記念碑を建立したものであります。
今日当時の揚水場の面影はありませんがその後いくたびか改造され、さらに国道七号線の新設に伴い、昭和三十七年(一九六二年)道路の向い側に移設したのが現在の揚水場であります。
姿こそかわりましたが、最も近代化された機械設備をもって、今なお昔ながらに湯尻川の水を汲みあげ、庄内米の増産に大きな役割を果して運転されております。

昭和五十二年十月

農業電化協会東北支部

平成二十八年十二月改修 東北農業電化協会
東北電力株式会社

日本の農業電化の幕開け

矢馳地区を含む西田川郡大泉村は昔から灌漑の便が悪く、旱害に見舞われることの多い地域でした。このことを憂えた木村久兵衛氏は、電力を利用して湯尻川の水を汲み上げることを思い立ちます。ポンプとモーターを取り寄せ完成した矢馳揚水場は、明治三十五年六月、水田の灌漑に成功。日本で初めて電気が農業に利用された瞬間でした。

創立五十周年記念寄進
平成十三年十二月 東北電力株式会社

地図

地図

鶴岡市矢馳 付近 [ストリートビュー]