黒龍 発祥の地

こくりゅうはっしょうんち

長崎電軌 公会堂前 停留所の北西。長崎公会堂から長崎市役所前に向かって上る坂の途中, 地区労会館の横に、横に長い四角い石碑の上に自然石を削った平板状の碑が載っている, 二重構造の珍しい形状の石碑が建っている。目に触れにくい場所にあって存在感がない。

「黒龍」とは, 100年の歴史をもつ薬効クリームで, 現在でも「黒龍堂」という会社から販売されている。同社のHPによると, 黒龍クリームは明治40年(1907) に, 宮崎雅幹博士が中国 黒龍江(=アムール河)河畔で病院を経営している間に, 皮膚病の特効薬として開発した。

昭和5年(1930), 宮崎博士の没後, 夫人は郷里長崎に帰国し, 皮膚疾患に悩む人々に黒龍を頒布し普及に努めた。その結果 「黒龍」の名は九州の名薬として全国に広がり 広まっていった。

昭和24年(1949), 株式会社黒龍堂を設立(本社・東京)し,「薬効クリーム黒龍」の全国販売を開始。その後 総合化粧品メーカーとして発展し, 現在はホテル経営・不動産賃貸事業からペット関連事業にいたる多角的な経営をしている。

この碑は,黒龍堂を創立した初代社長が, 黒龍を開発し拡販の努力をした父と母の功績を偲んで昭和27年(1952) に建立したもの。

写真

  • 黒龍発祥の地 下部碑文
  • 黒龍発祥の地 上部石碑
  • 黒龍発祥の地

碑文

黒龍という名を刻ませて
父をこそ思へ母をこそ思へ

吉井 勇

建碑由来

此の処は之即特殊薬効クリーム黒龍発祥の地なり之が創製者は当市出身蘭学の流を汲む医師故宮崎雅幹国手にして日露戦役直後西比利亜及北満黒河に開業露支人の診療に従事中に研究して其処方を完成皮膚疾患並に美肌作用に薬効を認めらるるに至る大正十年故父彼の地に没したる後は家伝として茂木出身故母宮崎敬子女史其業を継ぎ広く世に推奨さる昭和五年露支紛争の難に遭いて引揚げたる後この処に居を定め銘を黒龍として初めて内地に紹介せり両親とも憂国至誠信念の人にして情に厚く義に堅く是の黒竜を世の為人の為に捧げて皮膚に悩む人を助け心身共に美しく明るき世とならしめむことを念願特に故母は眞に深き慈悲心を以て全国に行脚奉仕せり此間昭和九年上京同十八年他界する迄多数の人乃喜びを受けたり今日黒龍が世に認められたることは偏に故父母の力と徳に在り継承者はその遺志を奉じ日々故父母の恩を感じ只管製品の向上を期し傘下代理店及 販売店と共に親睦を深め永遠に共 存共栄乃実を続けて愛用者の賞讃に報いむとす茲に感謝の至誠を故 父母の霊に捧ぐべく黒龍創製四十 五周年会社創立参周年を卜し題歌を歌人吉井勇先生に嘱し此処由縁 の地にこの記念の碑を建立する云爾

昭和弐拾七年拾壱月

東京黒龍本舗
 株式会社黒龍堂
 代表取締役社長 宮崎雅志 白

地図

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