国鉄機械化土工発祥之地

こくてつきかいかどこう

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東海道本線・伊豆箱根鉄道 駿豆線 三島駅の北 600m。JR東海三島社員研修センター内の保線資料館前に石碑が建っているのが, 敷地の外から見られる。資料館の壁には、0系新幹線の「鼻」が掲げてある。

「国鉄機械化土工」と言われても すぐには内容が理解しにくいのだが, 「土木工事の機械化」が国鉄の手によって始められ, ここ三島に実験場を開設して試験研究を始めた, という内容である。

この碑は ほとんど存在が知られておらず 資料もあまり見られないが, 『日本鉄道施設協会誌』2005年10月号に この碑のことが書かれているので, 一部を抜粋して紹介する。

鉄道モニュメントを訪ねて  (財)鉄道総研 小野田滋

機械化工事の先駆 ~~ 国鉄機械化土工発祥之地碑 ~~

 わが国における土木工事の機械化 は, 大正時代より試みられていたが, 大規模な工事現場などごく一部の使 用にとどまり, ほとんどが人力また は牛馬による作業であった。
 国鉄では, 1943(昭和18)年, 三 島市に実験場を設置し, 陸軍 からの払い下げ車両を利用した機械 化工事の試験研究を開始した。
戦後は, 米軍からブルドーザーやダンプカー などの払い下げを受け, 徐々に機械 化工事が開始されるようになった。
1949(昭和24)年に東京操機工事事務所が新設 され, その現業機関として三島操機 区が発足。昭和20年代後半に行われた外房線・士気トンネ ルの開削工事や, 信濃川発電所山本 調整池の土堰堤工事, 東京駅八重洲 口の基礎工事などの現場で直轄によ る機械化土工が実施され, その威力 を発揮した。
 1979(昭和54)年11月に「国鉄機械化土 工発祥之地碑」が三島操機区内に建 立されたが, 1987(昭和62)年の国鉄分割・民営化によって 隣接する国鉄中央鉄道学園付属三 島技術学園(現・JR東海三島社員 研修センター)へ移設され, 現在に 至っている。

設備の老朽化等により、2011年に全体的に建て替わり、碑の存在がどのようになったか不詳。

写真

  • 国鉄機械化土工発祥之地 (2007)
  • 国鉄機械化土工発祥之地 (2007)
  • 国鉄機械化土工発祥之地 (2007)
  • JR倒壊三島社員研修センター入口 (2007)
  • 国鉄機械化土工発祥之地 (2008)
  • 国鉄機械化土工発祥之地 碑陰(2008)

碑文

国鉄機械化土工
発祥之地

由来

国鉄建設工事の機械化土工 は運輸省熱海地方施設部実験場が昭和十八年七月三島 市宮町に設立されたことに始まり,昭和二十一年九月三島市文教町に移転され礎が築かれた。昭和二十四年十一月東京操機工事々務所 三島操機区が発足し戦後の復興工事,災害復旧,小千谷土堰堤工事等全国各地 多大の成果をおさめた。昭和三十九年十二月東京第二工事局三島操機区と名称変更になったが,その偉業が讃えられて,この石碑が昭和五十四年十一月建立された。昭和六十二年三月をもって日本国有鉄道は百十四年の歴史の幕を閉じることとなり,三島操機区構内よりこの地に移設したものである。

昭和六十二年三月

日本国有鉄道東京第二工事局

地図

地図

三島市文教町1丁目 付近