手賀沼干拓発祥之地

てがぬまかんたくはっしょうのち

 
調査:
2019年10月(写真 竹カッコンさん)

千葉県北部から茨城県にかけてのチバラギ地域は、香取海(かとりのうみ)と呼ばれる広大な内海が横たわっており、干拓・治水が進んだ現代では手賀沼や霞ヶ浦といった形で残っている。

手賀沼干拓の歴史は古くは江戸初期から、最近では昭和の戦後まで延々と繰り返され、担当者の失脚で成されなかったり、洪水で無に帰したりと様々だ。

この碑が言うのがいったいどの時代の干拓事業発祥を指し示すのかは今のところわからないが、おそらく碑陰にて語られていることと思われる。

県道59号沿いの永治簡易郵便局から北西に入り、印西市永治(えいじ)プラザ(印西市浦部411-3)というやけに立派な施設の入口近くから逸れてさらに奥に進むと大六天の札が建っている。そこからさらに奥の手賀沼の南側、浦部地区のプールの裏のこんもりした小さな林に碑が建つ。

手賀沼というと、平成の初期(1990年代)には日本で最も汚れた沼として名を馳せていたが、現在ではかなり浄化された。

写真

  • 大六天手前の広場
  • 手賀沼干拓発祥之地
  • 大六天の祠
  • 手賀沼を干拓してできた新田

碑文

手賀沼干拓發祥之地

農林大臣 西村直己書

地図

地図

印西市浦部 付近