日本で初めて交流発電方式による高圧配電

にっぽんではじめてこうりゅうはつでんほうしきによるこうあつはいでん

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東京電力の前身となる東京電燈は、大阪まで直流方式で大阪侵攻を進めていた。地元の大阪電燈は対抗措置として、比較的安価に配電できる交流方式で対抗し、東京電燈は大阪から撤退した。後に東京電燈も交流へと切り替わるが、体面を重んじたのか大阪電燈の侵略を防ぎたかったのか、50Hzを採用し、東西で周波数の違う決定的事項となった。

その初の交流発電をした西道頓堀川発電所は大正4年にお役御免となり取り壊されたが、すぐ隣の宇治川電気の道頓堀変電所は昭和23年にお役御免となった後も堀江赤レンガ倉庫として当地に建っていた。

平成19年(2007)1月に関電系タワマン エルザグレース堀江タワー(西区南堀江1丁目26-15)が完成。公開空地を利用した敷地南西隅の緑地に、倉庫の一部で使われたレンガを積んだ背の低いモニュメントと、ステンレス板に書かれた説明が設置された。平成24年(2012) にはまだちゃんと読めていたようだが、平成29年(2017) にはすっかり褪色して読み取るだけでもわりと困難な状態となっている。

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碑文

大阪電燈株式会社 西道頓堀発電所 跡地
宇治川電気株式会社 道頓堀変電所 跡地

大阪電燈株式会社は、明治22年(1889年)5月、この地に、西道頓堀発電所を完成させ、日本で初めて交流発電方式による高圧配電を開始した。大阪府の事業用発電でもあった西道頓堀発電所は大正4年(1915年)に廃止され昭和初期までにはその姿を消すが、大正2年(1913年)にに宇治川電気株式会社が西道頓堀発電所の隣に建設したレンガ造りの道頓堀変電所は、昭和23年(1948年)にその役目を終えた後も倉庫として利用され、「赤レンガ倉庫」として親しまれてきた。

地図

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大阪市西区南堀江1丁目 付近 [ストリートビュー]